2017年9月26日 (火)

党内の議論もないのに…解散の大義、疑問の声は与党にも

党内の議論もないのに…解散の大義、疑問の声は与党にも

9/26(火) 9:12配信    

    

朝日新聞デジタル

 「国難突破解散」。安倍晋三首相が25日の記者会見で表明した衆院解散の理由は、少子高齢化と北朝鮮情勢を「国難」として、「国民の信任なくして大改革、毅然(きぜん)とした外交は進められない」というものだった。だが臨時国会冒頭で踏み切る理由は語られず、反発する野党は解散そのものを争点化しようとしている。


 安倍首相が解散の理由として強調したのは、消費税の使い道の変更だ。

 「少子高齢化という最大の課題を克服するための大改革に挑戦する。子育て世代への投資を拡充するため、約束していた消費税の使い道を見直すことを決断した。約束を変更し、国民生活に関わる重い決断を行う以上、すみやかに国民の信を問わねばならない」

 2019年10月に予定する消費税率10%への引き上げ。その増収分を活用し、幼児教育の無償化や高等教育の負担軽減などを実現する考えを示した。必要とする約2兆円の財源の多くを、約5兆円と見込む消費増税の増収分でまかなう。

 増収分の使い道は、約2割を社会保障の充実に、残りの約8割は借金の穴埋めに充てることになっている。国の借金体質を改善し、社会保障の水準を守るためだ。穴埋めに充てる分が新たな政策に回れば、財政再建はさらに遠のく。

 安倍首相はこの変更を選挙で問うと繰り返した。「税こそ民主主義。3年前の総選挙でも、消費税引き上げの先延ばしを国民の信に問うた。私たちの主張は一貫している」とした。

 しかし、首相は会見で「国論を二分する大改革」とまで言い切ったが、増税分の使途変更が、国会はもちろん自民党内でも議論されたことはほとんどない。社会保障の充実策は民進党の前原誠司代表も主張しており、選挙戦で与野党の大きな対立点になるとは考えにくい。

 前原氏は記者団に「説得力がまったくなかった。消費税が上がるのはまだ2年先。なぜいま解散総選挙なのか」と指摘。自由党の小沢一郎代表も「突然の解散になんの根拠になるような話もなかった」と批判した。

 使途変更を問う形での解散について、疑問の声は与党内にもくすぶる。自民党の中堅議員は「解散して国民の審判を仰ぐような話じゃない。与野党が対立して激論を交わした末の解散ならまだしも、党内の議論だってしていない」と漏らす。

         

朝日新聞社

 

2017年7月13日 (木)

仏教系大学を儒教系法人に譲渡、学生8人が国を提訴

仏教系大学を儒教系法人に譲渡、学生8人が国を提訴

7/11(火) 7:01配信    

    

朝日新聞デジタル

 仏教系の苫小牧駒沢大(北海道苫小牧市)が儒教系の学校法人(京都市)に経営譲渡されることを巡り、同大学の学生8人が10日、国などを相手に、大学側の変更申請を認めないよう求めて東京地裁に提訴した。学生らは「住職になるため仏教系大に進んだのに、儒教系の学校法人に譲渡されたら資格が取れない」と訴えている。

【写真】提訴後に会見する原告学生の保護者たち=東京・霞が関の司法記者クラブ

 曹洞宗宗務庁によると、同大学は曹洞宗系で、仏教専修科を修了すれば、曹洞宗の寺の住職になる資格の一部を満たすという。

 訴状などによると、学校法人駒沢大学は3月、経営難を理由に苫小牧駒大の経営を、建学の精神に儒教の教えを掲げる学校法人京都育英館に変更するよう文部科学省に申請。8月に文科省が可否を判断する。 提訴後に会見した原告の男子学生(19)の父親、成澤廣仁(こうじん)さん(58)は「突然テレビで知り、子どもは不安の中にいる」と話した。釧路市の寺を継がせる先行きは見えず、「大学から説明も何もない」と憤る。

 一方、駒大は「訴状を確認していないためコメントできない」。曹洞宗宗務庁は「苫小牧駒大には僧侶輩出機関のままでいて欲しいが、悩ましい問題だ」と話した。(後藤遼太)

2017年6月 5日 (月)

学校で先生が教える部活はなくなるか 驚きの部活改革プラン

学校で先生が教える部活はなくなるか 驚きの部活改革プラン

6/5(月) 11:12配信    

    

THE PAGE

教員の多忙化の原因として部活指導が問題となっている。政府の教育再生実行会議が6月にまとめた第10次提言では、「持続可能な運営体制の整備が可能となるよう、改革を進める」と明記された。ただ、具体的にはどう変えるのか。取材を進めると、部活の主体を学校から地域へと移すプランが検討されていることがわかってきた。学校で教員が教える部活はなくなるのだろうか。


          

 「ここまで議論してきたことの取りまとめに入りたい。それを基に秋の臨時国会で深めていきたい」。自民党の地域スポーツのあり方を検討する小委員会で委員長を務める遠藤利明衆院議員は5月30日に行われた10回目の会合でこう述べた。小委員会では、昨年12月から、学校の部活動を、地域のスポーツクラブに移行することなどを狙いとして議論を重ねてきた。議員立法で「地域スポーツ活性化法案(仮称)」として国会提出を目指している。

 構想としては、学校内などに、地域住民を会員としたスポーツクラブを設置。放課後は中学生が部活を行い、部活以外の時間は住民がスポーツクラブとして使う、といったスタイルを想定している。指導を行う人材は、一定の指導力を担保するため、国が「スポーツ専門指導員(仮称)」という国家資格を創設し、認定を受けることとする。

 国家資格制度について、遠藤議員は取材に対し、「部活と地域のスポーツクラブの一体化を考えたときには、学校の先生が教えているのとスポーツクラブでは、指導のレベルに差が出てくる。国家資格できっちり同じレベルの人で教えていく形にする必要があるのかなと思っている」と説明。
 
 部活動を学校から切り離すことで、指導経験のない顧問が教えるといったこともなくなり、教員の負担軽減にもつながるという。現在、教員が放課後などに部活指導を行っても見合った対価が支払われていないが、教員が国家資格を取った場合は、放課後に有償でスポーツクラブの指導者をやってもらうイメージを持っている。このことで、部活指導に見合った対価を教員に支払えるという。

学校で部活指導、なぜ難しく?

 背景には少子化などにより学校単位の部活の維持が難しくなっている現状がある。日本中学校体育連盟の調査によると、他校と合同で部活をやっている学校の数が2001年度には266校だったが、2016年度には830校にも及んでいる。生徒数減少によって、グループ競技などを中心に部活自体を設置できない状況が生まれている。

 また、少子化に伴い配置される教員の数が減り、競技経験のある教員の確保が難しいといったこともある。日本体育協会が2014年に行った調査によると、運動部活動の顧問のうち,保健体育以外の教員で担当している部活動の競技経験がない者が中学校では約46%に上っている。そのため、学校では、外部指導者の導入が進んでいる。文部科学省によると、2015年度に運動部活動の外部指導者を活用した中学校の割合は約74%に達した。

 文部科学省は教員の負担感を解消するため、今年の4月から、「部活動指導員」を学校教育法に基づく学校職員に位置付けた。これまでは外部指導者の身分が不明瞭だったが、学校職員に位置づけられたことにより、土日の大会への引率が可能になったり、顧問になったりすることが可能になる。

 こういった流れもあり、教員ではなく地域の人材が部活動指導を担う機運が高まっている。

         

地域で部活を教える構想、現場の受け止めは

 学校ではなく地域で部活動を担うことができるのだろうか。
 杉並区内の中学校で、外部指導者としてソフトテニスを教えている浅川陽介さんは、都内でテニススクールなどを運営するプロの指導者だ。検討されている部活のあり方について、「外部指導者として、試合の引率など部活動のすべてを任せられると本業にも支障が出ますし、生活指導など専門外のところも出てきます。今は学校現場を支えたいとの思いでさせて頂いている。この部分が無ければ現状は厳しいです」と話す。

 杉並区内の2つの中学校で指導しているが、指導内容は技術のみで、生活指導は顧問を務める、競技経験のない教員が担当する。普段から生徒に接している先生がいるからこそ、自分が見ていない生徒の特徴がわかって指導がやれる面もあるという。

 また、「地域でスポーツを担うためには、地域の理解を始め、財源の確保ができれば地域の指導者を目指す指導者も増えてくるのではと感じている。国、学校、地域の連携がもっと必要になってくる」という。

 浅川さんが指摘するように、地域で運営するスポーツクラブは財源に課題がある。

 文部科学省は1995年度から地元住民が主体となって運営する「総合型地域スポーツクラブ」の事業を始め、補助金などを出して育成を進めてきた。2016年度には全市区町村の80.8%(1407市区町村)に3586のクラブがあるという。

 ただ、自立的な運営に成功している事例は少なく、スポーツ庁の2015年度の調査では、総合型スポーツ地域スポーツクラブ(2678クラブが回答)の69.1%が「財源の確保」を課題にあげている。浅川さんのようなプロのコーチや、「国家資格」を取った指導者に、地域のスポーツクラブで活躍してもらうためには、補助金だけに頼らず、安定的に運営できる財源を確保しなければならないとみられる。

 浅川さんと契約している杉並区教育委員会の小林淳・学校支援課係長にも話を聞いた。

 杉並区では2013年から競技経験の全くない顧問に対し、スポーツ指導の資格などを持つ専門コーチをつける「部活動活性化事業」を実施している。浅川さんもこの取り組みの一環でコーチをしている。2017年は区内の中学校23校のうち、19校・43の部活にコーチを派遣している。平日の部活指導に加え、土日の指導のほか、公式試合に帯同もする。ただ、試合については引率できないので、顧問も来なければならない。2016年度はこの取り組みに3000万円の予算をつけた。

 小林さんは課題について、中学校体育連盟が運営する大会に出場するためには、学校で行っている部活であることが条件になっていると説明。「区や都の大会に出るためには、形式として部活動でなければならない。クラブでも大会への参加が認められるということが必要になる」と指摘する。

 また、「国家資格を取ってまでスポーツの指導をやろう、という人材を探すのはおそらく地元になる。杉並区でお願いしているコーチは、本業を持っている人なので難しいだろう。現実に今学校を支えてくれている人をみる限り、国家資格を取ってくれるような人材がいるようでいない」と説明。コーチのほかにも、競技経験がある地元の退職者や大学生といった人を、区内に250人ほど確保しているが、顧問に代わって部活動を担うのは難しそうだという。

 学校というベースがあって外部指導者が入っている事例は進みつつあるが、部活を学校ではなく地域でやるためには超えなければならないハードルも多そうだ。

         
期待の声もあるが…

 一方で、検討されている部活のあり方に期待を持つ人もいる。部活動指導による教員の多忙化の問題を研究してきた名古屋大学の内田良・准教授は「これまでは素人の先生が部活を担っている場合もあり、安全性の面でも問題があった。地域の外部指導者を入れる流れの中で、部活の指導をする人に国家資格をとってもらい、きちんとスポーツ科学をわかっている人に子どもたちが指導してもらえるようになるなら良いのではないか」と話す。

 ただ、「部活そのものの活動規模、つまり練習日数や時間数、大会参加数を大幅に削減しなければ、資格制度の創設だけではうまくいかないのではないか。現状の活動規模では、そもそも人材も回らないし、見つからない。制度創設にあわせて部活のあり方を改革することが必要だ」と指摘する。

 内田准教授によると、総合型地域スポーツクラブへの移行は、2000年代にいくつかの地域で進められたものの、いずれも失敗に終わっているという。「競技」の論理のまま、学校からの移行を画策したので、うまくいかず、実態としては教員が指導する部活動が継続されてしまった。

 成功するためには、まず、部活動の活動総量を規制し、週に2~3日にして、それを総合型地域スポーツクラブのかたちで引き受ける、どうしても強化選手レベルのトレーニングをしたい生徒は、民間のスポーツクラブで練習するといった制度設計が必要になるという。内田准教授は、「実際に今日のトップアスリートの多く、とくに水泳、フィギュアスケート、サッカー、卓球などは民間で育っている」とし、「教育」(総合型地域スポーツクラブ)と「競技」(民間のスポーツクラブ)を分ければ成功への道は開けるとした。

 スポーツ庁政策課学校体育室の担当者は、部活動を地域のスポーツクラブに移行する案について「地域との連携というのはもちろん進めていかなければならない」とした上で「いきなり学校での部活をなくす、というのは難しい」と話す。同庁では、5月末から練習時間や休養日の設定、地域との連携など部活動のあり方そのものについて議論を始めており、年度内にガイドラインとしてまとめる。

(以上、THE PAGEより転載 了)

2017年6月 2日 (金)

本田圭佑が若者の自殺に「政治のせいにするな」と理不尽説教!蔓延る自己責任論…曽野綾子はいじめ自殺まで責め立てる その4

なんでも自己責任論で済ませるなら国なんていらない

 これは教育理論的にもとんでもない間違いで、浅はかな大人たちがこうして「やり返すことこそが強さ」とか「やり返せないのは弱い子」と教えていることこそが、いじめの連鎖を生んできた。元・文部科学省いじめ問題アドバイザーである小森美登里は『いじめのない教室をつくろう 600校の先生と23万人の子どもが教えてくれた解決策』(WAVE出版)でこのように説明している。

〈「やり返してもいい」と教わった子どもがやり返し、やられた子どももやはり大人から「やり返してもいい」と教わっているので更にやり返します。いじめは連鎖して問題は大きくなり、深刻化していきます。その間、子どもの傷は深くなり、問題解決をも困難にしていきます。
 また「思い切りやり返せばよい」ということでは、解決できません。やられた子どもの心には、大きな傷が残ります。その傷や悔しさ、悲しさ、怒りは、心に争いの種を残し、その種はいつか誰かに向けて爆発してしまうかもしれません。やり返すことで一体何を生み出しているかを、もう一度認識しなければならないのです〉

 しかし、曽野の「自己責任論」はこんなものでは終わらない。そのエッセイはこんな言葉で閉じられているのである。

自殺した被害者は、同級生たちに暗い記憶を残したという点で、彼自身がいじめる側にも立ってしまったのである〉

 極北まで行った「自己責任」論はここまで非情な言葉を生むのである。

 しかしこうした「自己責任論」にとらわれているのは曽野や本田だけではない。今回の本田の発言には、米津のように疑問を投げかける人がいる一方、本田の発言に対して「さすが本田!」「本田の言ってることは正論」などと賛同する声も決して少なくない。

 追い込まれて自死を選んだ者たちは本当に利己的で自分勝手な人たちなのか? 死者にむち打つ行為に走る彼らは、自分がその立場に立ったときのことを少しでも想像してみたことがあるだろうか? 弱く、虐げられた人々を見捨てるだけの国なら、そんな国の存在価値はどこにあるのだろう? 溢れ出す「自己責任」論には、ひとつずつ疑義を呈する必要がある。

(以上、LITERAから転載 了)

ここからは私の感想。

本田氏の「政治のせいにするな」の言い分。

自ら命を絶った人の誰が「政治のせいで私は死にます」と言いましたか、と言いたいです。

「政治のせいにするな」と言うけれど、政治の力でできることもあります。

それで自ら命を絶つ人を少なくすることはできるのです。

たとえば、労働法を改善して働く人の心身の健康を害さないようにしたり、生活を営めるだけの賃金が払われるようにしたりすること。

もし何らかの事情で働けない人達には生活保護を支給するとか、そういったことは政治の力の出番なのです。

つまりは近年蔓延っている、いわゆる自己責任論ですが、自分が被害に遭っている、弱者の側に立っているときに「政治のせいにするな」「自分の責任だ」と自分に言うならば良いのでしょうが、それを他人に押し付けるのはおかしいとしか言いようがありません。

そのような理屈が成り立つならば、それこそ日本に国家も政治もいらないと言っているようなものです。

自衛隊も消防も警察もいらないと言っているようなものです。

もし自分が落とし物をしたら交番に届けるでしょう。それは自分が落とした者を誰かが拾ってくれて、交番に届けてくれたらいいなという期待があるからです。

もし自分が犯罪の被害に遭ったら警察に頼るでしょう。

もし火事になったら119番に電話をするでしょう。

それをもし火事になって119番に電話をして「自分で火事を起こしたのだから自分で消したらいい」と言われたら、どうなりますか?

それこそ、それならば消防隊員はいらないとなるでしょう。

そういうことです。

私たちは自分の力だけで生きているように思いあがりながらも、それでも他人の、あるいは政治の力も必要なのです。

それを「政治のせいにするな」と切り捨てたら、国家も政治もいらないと言っているのと同じなのです。

それと、本田さん、東京オリンピックは開催したほうがいいと思いますか?

なんであなた達スポーツ選手のために私たちの税金使って政治の力で、あなた達の活躍の場を設けないといけないのですか?

オリンピックやりたいならば、政治に頼らずに自分たちのお金でやったらどうでしょうか?

そういうことです。

本田さんに言いたい。「だったら政治に頼るな」と。

 

 

本田圭佑が若者の自殺に「政治のせいにするな」と理不尽説教!蔓延る自己責任論…曽野綾子はいじめ自殺まで責め立てる その3

曽野綾子はいじめ自殺被害者にまで自己責任論を……

〈たしかに、がんばることは大切です。
 生きていると、誰でもがんばらないといけない場面、無理をしないといけない場面に出くわすことはあります。
 仕事で多少無理をしてでもがんばった結果、成功を手に入れた人の話を聞いて「自分も、もっとがんばらなきゃ」と思っている人もいるかもしれません。
 しかし、がんばり続けて、プツンと切れてしまう人も多々います。
 日本では年々過労死する人が増えています。厚生労働省のデータでは2015年に過労死・過労自殺した人の数は482人にのぼりました。
(中略)
 そこで、がんばり続けてうまくいく人と、プツンと切れてしまう人には、どのような差があるかを考えてみましょう。
①「がんばっていることが自分自身で決めたことかどうか」
②「がんばったことの成果が分かりやすいか」
 というのが重要な要素になります。
(中略)
 ①と②が当てはまらないうえに長時間労働を強いられている場合、注意が必要です。この状態でがんばり続けると、精神的に大きなストレスを受けることになるからです。〉

 前述したように、本田のツイートには疑問の声が多く寄せられて炎上したわけだが、一方で、彼の意見に同調する者も少なからず存在した。本田の炎上騒動を話題にしたネット掲示板では、〈自殺する若い奴は責任転嫁の卑怯者〉という書き込みも見受けられた。

 このように、自殺を「自己責任」の一言で片付けるのは本田だけではない。たとえば、曽野綾子もそうだ。彼女は「週刊ポスト」(小学館)15年9月18日掲載の連載エッセイのなかで、15年7月に岩手県矢巾町の中学二年生の生徒がいじめを苦に自殺した事件を取り扱っているのだが、彼女はその原稿で、本田と同じ〈政治のせいにするな〉論を展開している。

〈こういう場合に、学校の責任が問われだしたのは、ごく近年のことのような気がする。戦前には、誰が自殺しようと、人権とか学校の責任とか言う人はなかった。それはあくまで当人の選んだ行為であり、もしそれが貧困から来る辛さであっても、政府や社会の怠慢という発想は皆無で、あくまで子供をそんな境遇にしかおけなかった親の責任であった。〉

 また、これに続けて彼女は、あろうことか、いじめが嫌だったのならやり返せばよかったとまで綴っている。

〈いじめもまた人間関係の一つの姿である。いい方法ではないと思うが、昔から、ことに男の子たちは、幼時に大なり小なりのいじめに遭って生きて、そのおかげで自分自身と他人と戦う方法も、争いを避ける方法も覚えてきたのだ。
(中略)
 食事中に教科書を投げつけられれば、汁がこぼれて教科書が汚れるだろう。しかしたかが教科書だ。机に頭を押さえつけられるのは屈辱だが、その場合は手を振り回して、できれば相手の顔をひっかいてやればいい。消しゴムを投げつけられたら、家でうまく投げ返すこつを練習することだ。朝会時に列に入れなければ、わざと脇に立ち続けて見せる。清掃時にほうきをぶつけられたら、これも投げ返す。
(中略)
 いじめを撲滅するには、個人の戦意も要る。学校が制度を作って生徒を守っても、卒業したその日から、世間は生徒だった子供を守ってはくれない。いじめは、電車の中にも、マーケットにも、銀行にも、どこにでもある。一番ひどいものは恐らく職場にあり、時には結婚生活にもあるだろう。一生それらと戦い続け、そのうちに素早くうまく和解して生きる方法を人は見つける。〉

(以上、LITERAから転載 つづく)

本田圭佑が若者の自殺に「政治のせいにするな」と理不尽説教!蔓延る自己責任論…曽野綾子はいじめ自殺まで責め立てる その2

本田圭佑は過重労働の実態をまったく理解していない

 先のツイートで本田は〈今やってることが嫌ならやめればいいから〉と綴っている。これはおそらくブラック企業による過重労働のことを指しているのだろうが、実際にブラック労働に苦しんでいる人にとって、事はそんなに単純ではない。過重労働によって傷つけられていくうちにだんだんと正常な判断能力を失い、「辞める」よりも「死」を選ぶことのほうが自然なことだと思わされてしまうようになる。だからこそ、過重労働の問題は根が深く、深刻なのだ。

 汐街コナ『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由』(あさ出版)というエッセイ漫画が現在大ヒットしているが、この本は、デザイン会社で過労死ラインの残業80時間を優に超える過重労働に苦しめられ自殺未遂を起こした著者自身の体験を作品にしたもので、そのなかには、著者もかつて抱いてしまっていたブラック労働被害者の思考回路がこのように綴られている。

〈両側を崖に挟まれた細い道を歩いているとします。道にはいくつもの分かれ道や扉があります。元気なうちはそれがまだ見えます。でも、真面目な人ほどその道や扉を塗りつぶしてしまいます。何度も何度も繰り返し丁寧に。そうこうするうちにも、長時間労働は思考力を奪い、視界を暗くし、ハラスメントは傷になって痛み続ける。何度も塗りつぶした道や扉はもう見えず、大切な人の声も届かず、壊れたように歩くことしか考えられなくなり。(中略)「まだ大丈夫」なうちに判断しないと、判断そのものができなくなるのです〉(元は漫画のセリフのため、句読点のみ筆者の判断で付け加えた)

 結果として、著者は電車に飛び込みかけるのだが、そのときの気持ちに、「命を絶つ」という究極の選択肢を選ぶ悲壮感は皆無で、むしろ、ホームの端に立ちながら「明日は会社に行かなくていい!? フォオオオオオオオオオオ!!!」と喜びすら感じていたというのだから、過重労働がどれほど正常な判断能力を失わせるものかということがよくわかる。

 その事実は、本田の〈今やってることが嫌ならやめればいいから〉という言葉が、いかに事の深刻さを理解していないものかということを端的に示している。

 また、本田は〈成功に囚われるな!成長に囚われろ!!〉と簡単に言うが、これもはっきり言ってしまえば、彼が才能をもち、自分の得意とする分野で結果を残すことのできた成功者だから言えたことだ。前掲『「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由』の監修を務め、本のなかで医学的な見地から解説している精神科医で作家のゆうきゆうは、〈成功に囚われるな!成長に囚われろ!!〉と頑張ることの危険性をこのように綴っている。

(以上、LITERAから転載 つづく)

本田圭佑が若者の自殺に「政治のせいにするな」と理不尽説教!蔓延る自己責任論…曽野綾子はいじめ自殺まで責め立てる その1

本田圭佑が若者の自殺に「政治のせいにするな」と理不尽説教!蔓延る自己責任論…曽野綾子はいじめ自殺まで責め立てる
5月30日、政府は2017年版の自殺対策白書を公表した。15〜39歳の層の死亡原因は前年に引き続き「自殺」が最多で、なかでも20代後半の層は2位「がん」の3.8倍、20代前半も2位「不慮の事故」の2.9倍という数字が出ており、白書は「社会をけん引する若い世代の自殺は深刻な状況にある」としている。

 このニュースは大きく報道され、改めて日本人、特に若者たちの置かれている厳しい環境を浮き彫りにさせたわけだが、そんななか、あるスポーツ選手発言が議論を呼んでいる。

 ACミランを退団するサッカー日本代表の本田圭佑は、そのニュースにコメントするかたちで自身のツイッターアカウントにこのような文章を投稿したのだ。

〈他人のせいにするな!政治のせいにするな!!生きてることに感謝し、両親に感謝しないといけない。今やってることが嫌ならやめればいいから。成功に囚われるな!成長に囚われろ!!〉

 この文章からは、本田が自殺に追い込まれた人たちを「自己責任」で片付けようとしているのだということが読みとれる。

 このツイートには多くの人々から疑問の声を投げかけられたが、そのひとりがミュージシャンの米津玄師。彼は自身のツイッターアカウントにこのような文章を連続で投稿した。

〈人生や親に感謝するのはいいと思うんだけど、少なくとも元の記事には他人や政治のせいにして自殺した人の様子なんてひとつも出てこないし、そこからの「成功に囚われるな、成長に囚われろ」という言葉もどこから出てきたのかよくわからないっていうのが正直な感想です。〉
〈「自殺する人間像」を自分の中で固定して、それを自明なことのように話すのはとても危険な振る舞いだなあと思いました。〉
〈もちろんあれが彼なりの激励であり優しさであるのはわかってるつもりです。ただ自殺で知人を失った経験がいくつかあり、思うところがあったので、一応突っ込んどこうと思った次第です。おわり。〉

 米津の指摘するとおり、記事は自殺者の数を伝えているだけで、「政治のせい」と言って自殺した人の話が出てくるわけではないし、過重労働やいじめ、就職や進学の失敗、失恋や家族問題など人間関係のトラブル、借金苦、体調不良など自殺の理由は自殺者の数だけあるはずだ。そうした千差万別の事情をまったく勘案せず、勝手なイメージでひとくくりに上から目線で説教する本田の発言は、乱暴きわまりない。
 
 そもそも自殺した人自身がそれを「政治のせい」と言おうが言うまいが、自殺の背景には個人的要因だけでなく社会的要因が少なからずあることはデュルケム以来多くの学者が指摘してきた自明のことだ。にもかかわらず、「他人のせいにするな!政治のせいにするな!!」と個人を責め立てる本田の発言は、若者たちを自殺に追い込んでいる現在の日本の社会状況を一顧だにしようとしない、あまりに無知なものだ。

(以上、LITERAから転載 つづく)

2017年5月29日 (月)

前川前次官問題で“官邸の謀略丸乗り”の事実が満天下に!読売新聞の“政権広報紙”ぶりを徹底検証 その5

森友学園問題でも官邸擁護、“忖度新聞”は民主主義の敵だ

 森友学園報道を露骨に避けていたことも忘れてはならない。実際、朝日新聞(東京版)が森友学園をめぐる国有地問題を初めて紙面で取り上げたのは今年の2月9日だったが、一方の読売(東京版)は同月18日で、実に1週間以上もの開きがある。しかも、この読売の記事のタイトルは「国有地売却に首相関与否定」というもので、これまた安倍政権側に立ち、文字数わずか200字弱のベタ記事だった。

 また、初めて社説で森友問題を扱ったのは、朝日が2月22日、毎日が同月23日に対して、読売は同月28日とかなり遅い。傑作なのが3月の籠池泰典理事長(当時)証人喚問翌日の社説のタイトル。全国各紙を比較してみるとこんな感じだ。

朝日「籠池氏の喚問 昭恵氏の招致が必要だ」
毎日「籠池氏喚問 関係者の説明が必要だ」
日経「真相解明にはさらなる国会招致がいる」
産経「籠池氏喚問 国有地売却の疑問とけぬ」
読売「籠池氏証人喚問 信憑性を慎重に見極めたい」

 何をか言わんや、である。現在の読売が、いかにかつての“中道右派のエスタブリッシュメント”的な紙面づくりを放棄しているか、よくわかるというものだ。なぜ、こんなことになってしまったのか。数々のスクープを手がけた元読売新聞記者・加藤隆則氏は、スタジジブリが無料で配布している小冊子「熱風」2016年4月号でのジャーナリスト・青木理氏との対談で、最近の読売をこのように分析している。

「だんだん官僚的になって、事なかれ主義になっている。今の政権にくっついていればいいんだと。それ以外のことは冒険する必要はなく、余計なことはやめてくれと。これは事実だからいいますけど、読売のある中堅幹部は、部下に向かって『特ダネは書かなくていい』と平気で言ったんです。これはもう新聞社じゃない。みんなが知らない事実を見つけようという気持ちがなくなった新聞社はもう新聞社じゃないと僕は思います」
「この新聞社にいても書きたいことは書けなくなってしまった。そういう新聞社になってしまったということです。社内の人間は多くが息苦しさを感じている。(略)でも辞められない。生活もありますから。だからみんな泣く泣く、やむなく指示に従っている」

 森友学園、加計学園問題でバズワードとなっている“忖度”が、読売新聞社内でも疫病のように流行っている。暗澹たる気持ちになるのは、安倍首相と独裁的トップのほうばかりを向き、政権擁護を垂れ流して、さらには謀略にまで加担してしまうこの新聞が、いまだ発行部数第1位であるという事実。民主主義にとって、極めて有害としか言いようがない。

(以上、LITERAから転載 了)

前川前次官問題で“官邸の謀略丸乗り”の事実が満天下に!読売新聞の“政権広報紙”ぶりを徹底検証 その4

池上彰も「これがはたしてきちんとした報道なのか」と苦言

 たとえば昨年では、「今世紀最大級の金融スキャンダル」といわれたパナマ文書問題で、読売新聞は文書に登場する日本の企業名や著名人の名前を伏せて報じた。また、沖縄で起きた米軍属による女性殺害事件も他紙が詳細を報じているにもかかわらず、米軍関係者の関与については容疑者が逮捕されるまでは一行も触れていなかった。いずれも、政権にとってマイナスにならないようにとの配慮ではないかとみられている。

 まだまだある。安保報道における読売の明白な「偏向」ぶりは、あの池上彰氏をして、「安保法制賛成の新聞は反対意見をほとんど取り上げない。そこが反対派の新聞と大きく違う点です。読売は反対の議論を載せません。そうなると、これがはたしてきちんとした報道なのかってことになる」(「週刊東洋経済」15年9月5日号/東洋経済新報社)と言わしめたほどだ。

 事実、15年5〜9月の間の朝日、毎日、読売、産経においてデモ関連の記事に出てくるコメント数を比較すると、朝日214、毎日178に対して、なんと読売はたったの10。産経の11より少なかったという(一般社団法人日本報道検証機構調べ)。ちなみに、安保関連の細かいところでは、安倍首相が蓮舫議員に対し「まあいいじゃん、そんなこと」というヤジを飛ばしたことがあったが、読売新聞はこのヤジ問題を全国紙で唯一報じなかった。

 さらには世論調査までもが、“安倍首相に捧げる”世論操作の様相を呈している。たとえば15年7月24〜26日実施の読売全国調査では、〈安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか〉などと、安倍政権の主張をそのまま質問文に盛り込んだ誘導質問を展開。集団的自衛権閣議決定の14年には、〈集団的自衛権71%容認 本社世論調〉なる記事を出したが、これも調査で人々が心理的に選びがちな「中間的選択肢」をあえて置き、回答を誘導したとしか思えないものだった。

(以上、LITERAより転載 つづく)

前川前次官問題で“官邸の謀略丸乗り”の事実が満天下に!読売新聞の“政権広報紙”ぶりを徹底検証 その3

会食を繰り返す渡邉恒雄主筆と安倍首相、蜜月はピークに達す

自民党総裁としての(改憲の)考え方は、相当詳しく読売新聞に書いてありますから、是非それを熟読してもらってもいい」

 2020年の新憲法施行を宣言した安倍首相が、今国会でこんなトンデモ発言をしたのは記憶に新しい。周知の通り、憲法記念日の5月3日、読売新聞はトップで安倍首相の単独インタビューを公開。まさに安倍首相の“代弁者”として振る舞った。

 しかも、インタビューを収録した4月26日の2日前には、読売グループのドン・渡邉恒雄主筆が、安倍首相と都内の高級日本料理店で会食しており、そこで二人は改憲について詳細に相談したとみられている。つい最近も、今月15日に催された中曽根康弘元首相の白寿を祝う会合で顔を合わせ、肩を寄せあうように仲良く談話している姿を「フライデー」(講談社)が撮影。このように、第二次安倍政権発足以降、安倍首相と渡邉氏の相思相愛ぶりはすさまじい。実際、安倍首相と渡邉氏の会食回数は傑出している。数年前から渡邉氏が読売本社にマスコミ幹部を招いて“安倍首相を囲む会”を開催しだしたことは有名だが、さらに昨年11月16日には、渡邉氏が見守るなか、安倍首相が読売本社で講演まで行っているのだ。

 こうした安倍首相の“ナベツネ詣で”は、重要な節目の前後にあり、重要法案などについてわざわざお伺いを立てていると言われる。事実、2013年には特定秘密保護法案を強行採決した12月6日前後にあたる同月2日と19日、14年には7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定に向けて動いていた6月13日、15年は安保法案を国会に提出した4日後の5月18日、昨年ではロシア訪問の前日である9月1日などがこれにあたる。

 そして今年の“2020年新憲法施行宣言”の読売単独インタビューと、国会での安倍首相の「読売新聞を読め」発言に続く、前川証言ツブシのための「出会い系バー通い」報道の謀略……。もはや、そのベッタリぶりは報道機関の体さえなしていないが、これは単に安倍首相と渡邉氏の蜜月ぶりだけが問題ではない。現在、読売新聞では四半世紀にわたりトップに君臨する渡邉氏を“忖度”するあまり、政治部は当然として社会部や世論調査までもが、安倍政権の後方支援一色となっているのだ。

(以上、LITERAより転載 つづく)

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