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2013年9月27日 (金)

阿闍梨様に関するネット上の書き込みに反論

この数日、酒井雄哉大阿闍梨様のご遷化に際して、このブログで記事を書いてきました。

今後、私自身の思い出や、これまでの記録を元に時折、お言葉などを書きたいと思います。

ところがネットで検索していると、私にとっては大阿闍梨様のご遷化に際してネットの掲示板で少々不快になる書き込みを眼にしました。

そこで、阿闍梨様のご葬儀が終わるまでは反論は控えていましたが、阿闍梨様に関するネット上の書き込みについて、少し反論をしたいことがいくつかあります。

論外のものもありますが、少し反論したいのは、一つは、妻帯への批判。もう一つは、酒井大阿闍梨様が極楽往生をされたら、亡くなられた奥さんと未来永劫会えないではないか、との書き込み。

この2つについて私なりの思いを書きます。

一つ目の阿闍梨様の妻帯について。

ネット上の書き込みでは、僧侶が妻帯して良いのか、と疑問を呈していました。しかし、阿闍梨様が妻帯されたのは、僧侶になられる(得度される)前のこと。まして、奥さんがお亡くなりになった後に、僧侶になられているのです。ですから、僧侶の妻帯について是非を問題にする以前に事実をおさえてほしいと思います。

二つ目の阿闍梨様が極楽往生をされたら、亡くなられた奥さんと未来永劫会えないではないか、ということについて。

確かに奥さんは新婚2ヶ月目にして自ら命を絶たれました。だから阿闍梨様が極楽往生をされたら、その奥さんと「お会い」できないか、と言いたいでしょうが、そんなことはないはずです。

阿闍梨様は天台宗の僧侶です。天台宗や日蓮宗、法華宗などの教学で「十界互具」という教えがあります。

仏、菩薩、縁覚、声聞、天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄の10の世界(境涯)がありますが、それらはそれぞれ仏、菩薩、縁覚、声聞、天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄の10の世界(境涯)を具有しているという教えです。例えば、仏であっても、「仏」から「地獄」の10の世界を持ち、地獄にあっても「地獄」から「仏」までの10の世界を持っているという教えです。「人」も「仏」から「地獄」の10の世界を宿しています。「畜生」であっても、というように、どのような存在であっても、「仏」から「地獄」までの世界と通じることができるし、その性質をもっているというのです。私は阿闍梨様は「仏」の世界に住む方と思います。しかし「仏」であられながら、あえて「地獄」さえも捨てていないのであります。そうでなければ、仏が地獄さえも救えないからです。

これを私達の世界において考えてみましょう。「人」の身であっても時には「地獄」の鬼みたいなことをしますね。「やっていない」と反論するかも知れませんが、蚊やゴキブリを平気に殺しませんか?蚊やゴキブリからすれば、そんな「人間」こそ「地獄」の鬼です。しかし、もし蚊やゴキブリを殺さずに逃がしたら、その時の心は「仏」の心であり、蚊やゴキブリからすれば「仏」のお慈悲ではありませんか。そして私達は、「仏」や「菩薩」のように他人に優しくしたり、赤ん坊を抱いたりするではありませんか。そうかと思うと、時には「修羅」のように怒りの心も起きます。「畜生」のように本能が先にでます。「餓鬼」のように欲を出します。そういうことはありませんか。私達の心には「仏」も住みますが、「地獄」や「畜生」「修羅」「餓鬼」も住んでいるのではないでしょうか。

そのように私達は「人」といっても、「仏」も住めば、「地獄」も住みます。

同じように「仏」も、「人」も住めば、「地獄」も住むというのです。「仏」が鬼のように残酷なことをするとか言っているのではありません。仏が仏の世界にしかいないとすれば、人も畜生も餓鬼も地獄も救うことができないからだというのです。仏が地獄さえも背負われているからどこの世界でも救うことができるのです。

仏も人も地獄もつながっているということですね。ですから、人は仏になれるし、仏からすれば人も地獄も救うことができるということになるようです。

これは私の思いですが、阿闍梨様ほどになれば、自在に誰とも会うことはできるのではないでしょうか。仏の世界に入られたからといっても誰をも仏へと誘いたいとされるのではないでしょうか。

まして、もし極楽往生を遂げて、そこにだけ安住されるでしょうか。利他の精神からして、そうは思えないのです。

法華経の如来寿量品では「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就佛身」とあります。お釈迦様は永劫に、誰をも仏になるのを切に願って、いつも教え導こうとされている、というのです。

同じく阿闍梨様もそのようにされるはずです。となれば、当然奥さんともお会いするのではありませんか。

また、「極楽往生」と言って浄土教を持ち出すならば、「九品往生」についての理解があったほうが良いと思いました。

話は戻りますが、亡くなられた奥さんと未来永劫会えないというのは勝手な解釈(自己流の解釈)であって、仏教に基づいた見解ではありません。まして、亡くなられた方についてあれこれ言うなどおかしいことではありませんか。

お亡くなりになった方の思いを汲み取ろうとし、また遺された方の思いも汲み取ろうとすることこそが大切ではないでしょうか。

仏教だとして語るならば自己流の解釈であってはなりません。また、自分の考えや思いをあたかも仏教のようにすりかえるのもよくありません。教えに基づいて考えるものです。

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