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2014年1月22日 (水)

幸福の科学を考える(仏陀再誕の検証3) 13

(前回の記事の続きです)

 また、タイ仏教をはじめ、上座部仏教では、輪廻から解脱した釈尊について「涅槃に入った」と言うばかりで、入滅後の釈尊が具体的にどうなったのかについて明確に説明できていないようだ。甚だしきにいたっては「釈尊は消滅した」と考える人たちさえいる。

 しかし、消滅したり消息不明になったりするのが仏教の目標なのだろうか。これが釈尊の説いた教えだとしたら、このような宗教が多くの人々に支持され、世界各地に広がったとは社会学的にも考えにくい。現代の上座部仏教は、初期の仏教を正しく継承していると主張しているが、釈尊の真意を大きく曲解している部分があると考えざるをえない。

あえて、「涅槃」「入滅」に対する極端な考え・見方を例にだして、それをもって、大川氏(幸福の科学)が説く「仏陀再誕」(大川氏が釈尊の再来で「再誕の仏陀」とする教え)が正論であるかのように近づけようとしているのでしょう。

 これらの問題について、大川隆法総裁は「(悟りを得て仏陀となると)約束ごととして何度も何度も生まれ変わらなくてはいけないという、通常の人間の魂としての生まれ変わり、すなわち、カルマの刈り取り的な修行としての魂の生まれ変わりはないわけです。(中略)しかし、地上の人びとを救済するために、あえて人間の肉体に宿って出てくることはあります」(『悟りの挑戦・上巻』)と説いている。

大川隆法氏の著書の一部を引用しても、それは大川氏の思い・考えであって論拠にはなりません。「再誕の仏陀」は大川氏だと言いくるめたいのでしょうが、ならば、大川氏が「再誕の仏陀」である論拠は何でしょうか。論拠もなく、ただの思い・考えで言っているだけでは論理にもなりません。

 また、釈尊が転生輪廻からの解脱をよく説いていた理由として、「当時は、『何にでも生まれ変わる』と考えられていたので、人々には、『転生輪廻が延々と続くのはたまらない。これで、もう最後の生存にしたい』という気持ちがあったわけです」(『「幸福の法」講義(1)』※)と説明する。

 釈尊が活躍した当時のインドでは、人間は地獄に生まれ変わることもあれば、この世への転生でも動物や虫に生まれ変わることもあると考えられており、そうした転生輪廻は苦しみをもたらすものとして恐れられていた。そのため、釈尊も「悟りの力によって迷いの輪廻から解脱できる」という部分を強調して教えを説いた時期があったということだろう。しかし、それは「仏陀自身の転生が不可能になる」ということでは全くなかったのだ。

繰り返すように、仏陀が転生するか否かは仏陀に転生する能力があるか否かの問題ではありません。転生する能力がないから仏陀の転生は不可能だとしているのではありません。論理のすり替えです。そして、「「仏陀自身の転生が不可能になる」ということでは全くなかったのだ」と言っていますが、どうしてそのように仏陀自身の転生が可能だと言えるのでしょうか。仏教経典にある「仏陀となっては転生しない」との記述を否定するだけの論拠を現存の仏教経典から出すべきでしょう。

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