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2014年1月 2日 (木)

幸福の科学を考える 8

幸福の科学では、総裁の「霊言」なるものを重視しています。

「霊言」とは、故人の霊の言葉、存命の人物の守護霊の言葉を総裁の大川隆法氏が口にするものです。この言葉こそその人物の「本音」とするのです。

これら「霊言」を収録して、ビデオ上映したり、出版したりしています。

霊言を世に出す理由として、あの世の存在を証明し、霊に個性があることを証明するためとしています。

この霊言なるものを実は幸福の科学初期からやっています。

ところが、決定的な問題は、地球神との設定の大川氏が教義(真理)を自らの言葉として語らないで、様々な人物の霊に言葉(教え)を仰ぐことです。
なぜ神が自らの言葉として語らないのでしょうか。

一方で、様々な人物の霊言は幸福の科学の教えと合致するとは限らない、内容に過ちもあるとするのです。

ただあの世や霊の個性を証明するためと言ったり、霊に教えを聞かせてもらおうと言ったりと、幸福の科学の教義と霊言とが、どのような関係があるのかが整合性がとれていないと言わざるを得ません。神が自らの言葉として教えを説かず、霊の言葉を語り、その言葉に過ちが起きると、幸福の科学の教えではない、「私の言葉でない」と弁解、責任回避してしまいます。

そんな宗教、他にはないでしょう。
地球神が霊媒師をやって、様々な人物の霊に尋ね事をしているなんてあり得ないこと。

大川氏は自身を地球神と騙りながら、今は離婚した元妻が何者かを霊能者エドガー・ケーシーの霊に調べてもらいました(これも、そのような設定です)。
それは、神や仏を騙る自身にその能力がないと自白したようなもの。
そもそも妻の正体は悪魔とエドガー・ケーシーの霊に知らされたのに、地球神のはずの大川氏は、それを知らずに結婚し、3男2女もの子どもを産ませ、20年間も一緒に暮らしたのです。それどころか文殊菩薩を女性という設定にして、元妻を文殊菩薩に仕立てて、元妻の出身地・秋田には「文殊館」なるものまで建てていました。

つまりは、大川氏は地球神、再誕の仏陀を自称していても、仏であれば備わるとされている「六神通」がないことを自らの言葉で証明してしまったのです。
本当に「六神通」があるならば、エドガー・ケーシーに霊査なるものを頼む必要も、そもそも結婚さえすることも無かったはず。
簡単、仏でないから「六神通」が無い、それだけ。
3男2女を産ませて、結婚生活20年間も寄り添った妻の正体に気づかなかった、そんな大川氏を仏と呼べる理由はありません。


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