« 池上本門寺お会式 | トップページ | 幸福の科学大学の何が問題か その2 »

2014年10月12日 (日)

幸福の科学大学の何が問題か その1

最近、駅の有料掲示板まで幸福の科学大学開学のポスターが貼られています。

予定では2015年4月に開学だそうです。今、開学に向けて千葉県長生村に校舎を建設し、文部科学省に大学設置の認可のための申請をしています。

ただ、いくつか審議会から修正を求められた箇所があり、それに対して幸福の科学は反発しています。

例えば、学長は教育、研究の経験者であることを求められました。つまりは学長になるほどの人物は大学での教育経験者であることを求められたのです。

ところが、宗教法人幸福の科学の幹部を学長に据えようとして、幸福の科学側は抵抗(反発)しています。

宗教系の大学の学長は宗教者が相応しいというのが幸福の科学の理屈です。

一方で、幸福の科学総裁の大川隆法氏は何度も下村文部科学省大臣の守護霊の霊言だとして、立て続けに発表しました。

このように同一人物の守護霊の霊言なるものを立て続けに発表するのは過去に例が無いと思います。それだけ、大川氏にとっては、審議会からの修正勧告は予想外だったし、大学開学に執念を持っているとも言えます。

そして、大川氏の「霊言」からすれば、下村文部科学省大臣の妻は崇教真光の信者だからとして、崇教真光の教祖、岡田光玉氏の霊が幸福の科学大学開学を邪魔しているとまで言いだしました。

また、大学開学に向けて大川氏は「幸福の科学大学シリーズ」として次々と出版しています。

さて、その中で今回は、大川隆法著『日蓮を語る』を中心に少し触れます。

その「まえがき」に大川氏は、文部科学省から「仏教論」を書くよう要請されたので、自身の仏教理解や解釈を公開するかたちで出版した、といったことを書いてあります。

大学の創立者であり経営の最高責任者となる大川氏に文部科学省は質疑をすることはあるでしょう。その内容は、開学を目指す理由や、大学の理念、経営基盤となる財政などについてではないでしょうか。

でも、文部科学省が大川氏に「仏教論」を書くよう要請することはあるのでしょうか。もし、大川氏の言葉が事実であるならば、文部科学省側の意図がわかりません。

次に、「と思います。」「ではないでしょうか。」「だと思うのです。」「でしょう。」「かも知れません」の文体が目立ちます(この『日蓮を語る』だけではありません)。大川氏の著書とはいえ、口述録だからでしょう。

ただ、これではテキストにはなりません。エッセイです。

エッセイの類をテキストにすること自体無理があります。つまり、これで学問的にたえられるのかということです。

「大川隆法の日蓮聖人観」という講座でも設けるつもりでしょうか。

日蓮聖人の行動や思想を学ぶならば、日蓮聖人らが遺した文献から探るしかないのです。その文献的な裏付けがあって、初めて日蓮聖人の行動や思想について語ることができます。

ところが、この本にはそれがありません。自分が本などから得た情報をベースに、自己流の想像や解釈をしているに過ぎません。

だから、論拠になる文献を提示しないままに、「と思います。」「ではないでしょうか。」「だと思うのです。」「かも知れません。」「でしょう。」で終わるのです。

結局、『日蓮を語る』のタイトルのように、大川氏が日蓮聖人をどのように見ているのか、どのように思っているのか、というだけでしかないのです。

この本を少し読んで、仮説としては面白いとは思っても、その論拠がないのです。

これでは学問ではありません。学問とは根拠、根拠、裏付けがあってこそ成立するもので、そこに科学的、客観的な批判や検証にさらされるのが学問です。

想像や思いと、事実、真実を追求する学問とは決定的に違います。

大川氏の思いや考えをテキストにしたいならば、学校法人としての大学ではなく、宗教法人が運営する私塾としてやればいいだけのことです。

« 池上本門寺お会式 | トップページ | 幸福の科学大学の何が問題か その2 »

幸福の科学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1859111/57655574

この記事へのトラックバック一覧です: 幸福の科学大学の何が問題か その1:

« 池上本門寺お会式 | トップページ | 幸福の科学大学の何が問題か その2 »

最近の記事

無料ブログはココログ