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2014年10月 3日 (金)

幸福の科学の収入源の変遷を考えました その1

これまで私が収集した資料や、調べたことをもとに、幸福の科学の主な収入源の変遷を考えてみました。

ほかの記事もそうですが、この記事も今後も編集したり、後で別の記事で書いたりもしたいと思っています。ですから最初は大雑把なことをお許し下さい。

シリーズもので今後掲載していきます。

①書籍(自分用)

今回は、幸福の科学という組織がまだ誕生していない頃を取り上げます。大川隆法氏が総合商社トーメンの社員でありながら、父親と本を出版していた頃です。

この頃は、大川隆法氏や善川三朗氏が出版して、それが主な収入源でした。

大川隆法氏の本名は中川隆(後に改名)。「大川隆法」の読み方も初期の本の奥付を見ると「おおかわ たかのり」とルビが振られています(注意しなくてはならないのは、同じタイトルの本でも版が後になるとルビが「おおかわ りゅうほう」になっていることです)。

また、善川三朗はペンネームで、実は大川氏の実父。善川氏と大川氏とは運命の出会いをした他人同士だと、初期にはそのように本に記されていましたが、本当は、実の父子の関係だったことが後に知られました。

この父親はGLAやキリスト教、生長の家を遍歴して、宗教の知識がそれなりにあったことで、初期の教義の形成には大きく関わっています。

初期は、善川氏が質問者役、大川氏が霊媒役で、善川氏が質問して、大川氏の口から霊の言葉が出て、それを採録したかたちで本を出版していました。つまりは父子の共同作業だったものの、少なくても父親自身の学んだ教義をベースにしたのです。

この当時の大川氏の霊言本を読むと、初期は教団をつくる考えは薄かったようです。むしろ教団化すると堕落するなどと、既成の宗教団体に手厳しいことが書かれていました。

当時は、「これは宗教ではない」などと、宗教であることを自称・自認しないことが結構見受けられました。

ちなみに解散させられた「法の華三法行」も宗教法人格を取得しながら宗教であることを否定し、自らを「超宗」と位置づけようとしていました。

また、スピリチュアル関連本も多く出版されていたこともあり、また、出版社の潮文社の刊行物のタイトルを見ると、そのような本がある程度の需要がある土壌がある中で大川氏が登場したのではないでしょうか。

そして、指摘する必要があるのは、初期の刊行物には、日蓮聖人、日興上人(日蓮聖人の弟子)、高橋信次氏(GLAの創始者)が多く出てくることです。大川氏に自動書記で「イイシラセ」と告げたのも日興上人ということになっています。また当時は、大川氏は日蓮聖人を自身の指導霊に設定していました。

これは、日蓮聖人と日興上人の霊言は創価学会の会員向け、高橋信次氏の霊言はGLAの会員向けに刊行したことが想像できることです。つまり、「市場」として、創価学会やGLAの会員の中で、本を読んで、大川氏自身に寄って来ることを狙ったと考えることもできます。

〈続く〉

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