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2014年10月 7日 (火)

幸福の科学の収入源の変遷を考えました その2

②書籍(自分用)、会費

前回(その1)では幸福の科学という組織がまだ誕生していない頃の段階を考えました。

今回は、幸福の科学という組織が誕生した頃の収入源を中心に少し考えたいと思います。

1986年、東京都荒川区西日暮里の酒販会館で発会式が行なわれました。

当時の幸福の科学は、東京都杉並区西荻南(JR中央線・西荻窪駅近く)で支援者(原氏)から提供されたスペースに本部を置きました。

当時は、幸福の科学に入会するには大川氏の本の読書感想文を提出しました。それが入会認定の「試験」でした。

入会するには大川氏の本を複数買って読まなくてはなりませんから、必然的にそれが「販売」促進になったのです。

また、幸福の科学を「人生の大学院」と位置づけ、学歴・偏差値偏重の風潮をとらえ、むしろそれを利用して、大川氏の本をテキストとして、試験制度「神理統一検定」もしていました。 出題範囲と解答は大川氏の本にありますので受験勉強のためにも大川氏の本を買わなくてはなりません。そして、この試験の合格を講師への登用の条件にもしました。

ここは創価学会の教学試験を真似たのかもしれません。

しかし、「幸福の科学」の体裁は宗教団体ではなく「神理」(このころは「神理」という言い方をしていました)の学習会の位置づけでした。

大川氏自身も最初からは自分を崇拝対象(神)とする宗教団体に幸福の科学をしていこうとは考えていなかったと考えられます。それが下記に挙げます本の記述の違いです。

幸福の科学の初期の頃に発行した本と、後の本とは大川氏の経歴に関する記述も違います。

大川氏にとっては、自身を「神」にふさわしい存在であるかのように自身の過去を書き換えてしまったということです。

例えば、大川氏が東京大学を卒業して就職するまでの記述。

1984年版『太陽の法』の記述では、司法試験や公務員試験に落ちたばかりでなく、大学で助手として残ることもできずに、結局は不本意な就職(総合商社のトーメンへの就職)しかなかった。そんな自分の不甲斐無さに打ちひしがれた様子が書かれています(以下の太字の部分がその記述です)。

頭が鈍るという理由から、夕食の量を減らしてまで、法律と政治学の勉強をしました。
しかし、一年の留年ののち、司法試験は、短答式試験には合格するも、論文試験には不合格。

(1987年版『太陽の法』 244ページ)

国家上級公務員試験も不合格。
東大に助手として残ろうとしたのですが、成績不良につき、その道もとざされてしまいました。

(1987年版『太陽の法』244ページ)

そして、ある商社にやっとひろわれた感じで就職したのです。
            (中略)
涙が流れました。私は、この世的に成功しようとすると、つぎつぎと打ちくだかれていったのです。

(1987年版『太陽の法』 244ページ)

ところが、1994年版『新・太陽の法』では、自分は司法試験の模試で6回もトップの高得点を取っていたのに、本番の司法試験では自分のあまりの能力の高さに試験官の能力がついてこられなくて不合格した。結局、総合商社トーメンに就職したのも先輩に三顧の礼をもって乞われたので男気をだしてのことだったと書いてあります(以下の太字の部分がその記述です)。

大学四年にあがる頃、就職の一環としてとりあえず、司法試験の準備をすることにしました。
半年通った司法試験の予備校では、六回一番となり、私の論文の参考答案で勉強した人が、かなりの数、司法試験に最終合格しました。
私はといえば、短答式試験は、合格点を十点(九十点満点)ほど越えてアッサリと合格しましたが、友人の多くの予想に反して、論文式試験では不覚をとってしまいました。
            (中略)
私は、あまりにも学問的に成熟していたのです。
当時、すでに、学説や判例を明確に批判する自己独自の視点を持っていたからです。
しかし、最高裁の判例を鋭く批判した答案に、採点官は後込みしてしまったのです。

(1994年版『新・太陽の法』 344~346ページ)

ハンナ・アーレントの価値世界について』という論文を作成しました。
            (中略)
教授からは、「マチュアー(成熟している)ですね。君は学者になれば大活躍できるだろう。この論文も、序文を書き添えて、内容を倍ぐらいに引き伸ばせば、法学部卒業後、助手が三年後に書く助手論文(博士論文程度)の合格レベルをすでに越えている」
            (中略)

当時二十一歳の私は、どうやら学問的天才性を見せはじめていたようです。
            (中略)
かくして私は、『法律学』や『政治学』の学問性と価値観の不在・貧困に直面し、東大法学部には、自分が師事すべき教師がいないことを悟りました。

(1994年版『新・太陽の法』 341~344ページ)

自分としては、予想もしていなかった道でしたが、ある総合商社の人事担当者から「『三顧の礼』をもって迎えるから是非とも当社に」と懇願され、東大の先輩で、スタンフォード大学でMBAをとった常務から、「ウチに来てくれませんか」と頭を下げられて、男の心意気で、入社を決めました。

しかし、友人たちからは悪評さくさくでした。ある友人は、「政治学科から日本銀行への推薦枠が一名あるので、教授は君を推薦するというのにどうして辞退したのか」と不満顔でしたし、ある政府系の大手銀行の人事担当者は、「東大在学中に司法試験の短答式試験に合格した人は、私学とは違い五割以上は最終合格しますね。しかも、あなたは政治学科ですから、おそらく、トップでしょう」とうれしいことを言って入社を勧めてくれました。
(1994年版『新・太陽の法』346~347ページ)

後のち、高級霊たちの意見を聞いてみると、国家試験合格や自分の満足のいく就職実現は、断固妨害して、この世的成功をあきらめさせ、宗教家への道を選ばせるつもりだったとのことです
(1994年版『新・太陽の法』345ページ)

(私の疑問ですが、司法試験に不合格したのを(合否判定に)納得できないのは仕方ありません。でも、仮に、自分の能力の高さに試験官の能力が追い着かないために不合格になったとしても、合否判定、採点の過程を受験生の立場で知ることができるのでしょうか?点数化した自分への評価は情報公開請求で知ることがあったとしても、採点・合否判定の課程や、評価や合否判定する側の人の能力までは受験生は知ることが出来ないと思うのですが。もし知人から裏話を聞いて知ったなどの類の話をその理由に挙げるならば、それは秘密漏洩や、試験自体に不正があるということで、むしろそちらが問題です。)

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