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2014年10月22日 (水)

大川隆法著『人間学の根本問題』を少しいじる その1

大川隆法著『人間学の根本問題』(幸福の科学出版、幸福の科学大学シリーズ)を少し立ち読みをした。

幸福の科学総裁の大川隆法氏について、ウィキペディアで「大川隆法」を検索すると、「自称」の項目で、次のようにある(以下、転載)。

幸福の科学の教義によれば、エル・カンターレとは地球における至高神であり、天上界より出たあらゆる宗教・思想・哲学の根源にあり、地上にあっては仏陀救世主の使命を併せ持った存在である。教団では、釈迦は大川の分身の一人であるとされている。ゆえに教団草創期には「再誕の仏陀(釈迦の生まれ変わり)」と称することも多かったが、大川は、大川自身がエル・カンターレの中核意識(本体)であり、自分が釈迦であった時代と比べて5倍の力を持っていると主張している。

(以上、転載了)

ということで、「再誕の仏陀」を称するならば、当然、2500年ほど前の釈尊の身に起きたことは自分自身に起きたこととして記憶にあるはずである。

まして、「自分が釈迦であった時代と比べて5倍の力を持っていると主張している」ならば、2500年前の記憶が無いとするようでは、その主張するところの意味もなくなるだろう。

ところが、この本に目を通すと、釈尊についての記述なのに「と思います」の文体が多く並ぶ。まして、「分かりません」といった文言さえある。

一方で、同じこの本で「過去世リーディング」なるものについての記述がある。これまでも、実際、大川氏は幸福の科学の職員の「過去世リーディング」なるものをして、自分の前に座らせた職員の過去世について語っている。

それなのに、大川氏は自らの過去世が釈尊だと自称しておきながら、私たちが当時の釈尊について、本で読んだり、人から聞いたりして想像する他人事のような記述である。

大川氏の過去世が釈尊であったならば、当然、その本人として釈尊について語れる、語るはずであるのに、私たちが釈尊について見聞きしたり調べたりしたことを披露し、想像する、そのレベルと同じである。

そうした記述が多いが、ここでは2つだけ挙げる。たとえば、

釈尊が木陰で瞑想をしているとき、時間が経っても釈尊のいる場所は木陰のままだったという話のくだりで、

陰まで動かさずに止めるとは、たいへんな神通力ですが、どこまで信じてよいのか分かりません。「それほどまでに、天上界も釈尊を見守っていた」ということが言いたかったのでしょう。

(77ページ)

次に、釈尊の母親マーヤー夫人の故郷についての記述。

マヤ夫人のお里は、そのネパール領を越えて、今のインド領に入ったところだと思われるのです。

(78ページ)

以上の2箇所だけ引用したが、自分(釈尊)の母親の故郷がどこかも知らないで、「思われるのです」と想像でものを言っている。

自分(釈尊)の修行のときの様子について、これが実際に起きた事実なのか、それとも後世につくられた伝説なのかさえも分からない。「分かりません」とはっきりと書いている。自分の修行体験、起きた事実さえ、それが本当に起きたかさえも分からない。釈尊の神通力とはどれほどのものであったのか、それも分からない。

となると、教団では、釈迦は大川の分身の一人であるとされている。ゆえに教団草創期には「再誕の仏陀(釈迦の生まれ変わり)」と称することも多かったが、大川は、大川自身がエル・カンターレの中核意識(本体)であり、自分が釈迦であった時代と比べて5倍の力を持っていると主張していることの根拠など全くなく、そこには大川氏自身の体験さえも根拠にできないということである。

ほかの大川氏の著書では、あたかも自分が過去世で釈尊であったかのように記述でしているものもあるが、この本の記述とは大きく異なり矛盾する。

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