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2014年11月 4日 (火)

大川隆法著『人間学の根本問題』を少しいじる その3

幸福の科学総裁の大川隆法氏著『人間学の根本問題』を少し読んでみて、大川隆法氏が自称するように「再誕の仏陀」なのかについて、今回も書きます。

幸福の科学(学園)では幸福の科学大学の2015年4月開学に向けて動いていました(しかし、2014年10月29日、大学設置審議会の答申で、設置申請を受けていたなかで、幸福の科学大学の開学だけを「不可」としました)。

当然、大学を開学するくらいですから、大学の教育理念で、教育内容にもなる幸福の科学の教義も学問的な批判、検証がされるはずですし、外部研究者らへの情報提供もされていくはずです。

さて、当時は、大学開学に向けて、おそらくテキストとして刊行したのでしょう。大川隆法著『人間学の根本問題』(幸福の科学大学シリーズ)で、

釈尊が少年の頃の記述。

少年時代については、仏典にいろいろなエピソードが書いてあります。どこまで本当か分かりませんが、

(76ページ)

次に、女性を出家者として教団の一員として受け入れることについて、釈尊が懸念を示されたとすることについての大川氏の考え。

これについては、かなりリアリティがあるので、本当のことかもしれません。

(83ページ)

再誕の仏陀、釈尊の生まれ変わりを自称する大川氏が、釈尊の少年時代について何もわからない、女性の教団への受け入れについても、釈尊の意思について真偽がわからないのです。

前世のことだから記憶にないとしたら、再誕の仏陀、釈尊の生まれ変わりであったことの証拠となる記憶は全くないということです。

再誕の仏陀、釈尊の生まれ変わりであることの証拠もなく、証明もできない、ただ大川氏いわく「われは、それなり」との内村鑑三の言葉(これは大川氏の記述で、本当は内村鑑三ではなく新約聖書のヨハネ伝4:26にある言葉)が証明や証拠だとしているのです(詳しくは、このブログの「大川隆法著『人間学の根本問題』を少しいじる その2」をお読み下さい)。

ただ、再誕の仏陀、釈尊の生まれ変わりであるだのと、大川氏は自称しているだけに過ぎないとしか言いようがありません。

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