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2014年11月17日 (月)

そもそもなぜ幸福の科学大学の開学は不可になったのか?

そもそも、なぜ幸福の科学大学の開学が大学設置審議会から「不可」にされたのでしょうか?

それは、大学設置審議会からの文書を先ずは読むことから始めなくてはなりません。

下記はその全文です。

私としては一部を転載することで、今後の記事の論調に、自分の都合よく、あるいは恣意的にならないようにするために、全文の転載をしました。

幸福の科学大学を「不可」とする理由
学校教育法(昭和22年法律第26号)第83条第1項、大学設置基準(昭和31
年文部省令第28号)第19条第1項及び第2項に基づき「不可」とする。
「幸福の科学の精神に基づき、知力と創造力と精神性の豊かな人材を育成」するこ
とを目的とする大学を設置する計画であるが、以下に示すとおり、設置の趣旨・必要
性、設置の目的を実現するための教育課程について、大学教育を提供できるものとは
認められない。
○設置の趣旨・必要性、教育課程
本大学の教育課程では3学部共通で、科目区分「建学の精神」として「創立者の精
神を学ぶⅠ」「創立者の精神を学ぶⅡ」(いずれも必修科目)を、また、人間幸福学
部には科目区分「自由科目」として「幸福の科学経典学A」、「幸福の科学経典学B」、
「幸福の科学経典学C」、「幸福の科学実践教学」、「説法・修法実習」を設定して
いるが、これらの科目の内容と創立者である大川隆法氏の著作が深く関連しているこ
とが示された。例えば、必修科目である「創立者の精神を学ぶⅠ」は、幸福の科学大
学の創立者として、「建学の精神」を主導し、精神的な主柱、精神的指導者に位置づ
けられている大川隆法氏の著作である「幸福の科学大学創立者の精神を学ぶⅠ(概論)
-宗教的精神に基づく学問とは何か-」をベースにしており、大川隆法氏の著作が、
本学の教育において重要な位置づけを占め、その根底となっていることが明らかとな
った。
これらの著作物では、大川隆法氏の基本的な思想を証明するためにいわゆる「霊言
(霊言集)」を科学的根拠として取り扱う旨の記述がなされている。例えば、「幸福
の科学大学創立者の精神を学ぶⅠ(概論)-宗教的精神に基づく学問とは何か-」に
は、「(前略)死体になった場合には、食物を与えても、水を与えても動きません。
点滴を打っても動きません。これを、『脳の機能が停止した』とだけ考えるのが、現
代医学の流れではあるわけですが、そうではないことを証明するために、私は、ここ
五年ほどで、二百七十冊以上もの『霊言集』を刊行しています。」、「『人間として
脳がなかったら、何も考えられない』と、医学的には思われているのです。しかし、
実際は、『焼かれて何もなくなっても、死んだあとの人には個性というものが残って
いて、考える力がある』ということを証明するのが、一連の『霊言集』の機能である
わけです。」、「これは、ある意味での『科学的証明』をしていると思っています。」
と書かれている。また、「創立者の精神を学ぶⅡ」、「幸福の科学経典学A」、「幸
福の科学経典学B」、「幸福の科学経典学C」、「幸福の科学実践教学」、「説法・
修法実習」についても、関連著作の中に同様の記述が見られる。
「霊言(霊言集)」については、新聞に全面広告として掲載されたという事実によ
り「妄想や虚言、詐欺などと思われないだけの社会的信用がある」としているが、新
聞広告にそのような機能はなく、また、一方的に多くの「霊言(霊言集)」を刊行す
ることだけでは、「霊言(霊言集)」の科学的合理性を証明する根拠とは認められな
い。
「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授
研究し、知的、道徳的及び応用能力を展開させること」(学校教育法第83条第1項)
を目的とする必要があり、その上で、憲法第23条が保障する「学問の自由」に基づ
き「教授の自由」が保障されている。この場合の「学問」とは、一定の理論に基づい
て体系化された知識と方法であり、一般化・普遍化されたものであることが求められ
る。上記の「霊言(霊言集)」については、科学的根拠を持って一般化・普遍化され
ているとはいえず、学問の要件を満たしているとは認められない。
また、大学は、「体系的に教育課程を編成」(大学設置基準第19条第1項)し、
「専門の学芸を教授」(同条第2項)するもので、「霊言(霊言集)」は大川隆法氏
のみが行えるとされており、実証可能性や反証可能性を有しているか否かという点で
も疑義があるため、このような「霊言(霊言集)」を根拠とした教育内容を体系的に
学生に教授することが可能とは認められない。
以上のことから、このような科学的合理性が立証できていない「霊言(霊言集)」
を本大学における教育の根底に据えるということは、学校教育法第83条第1項の「学
術の中心」としての大学の目的を達成できるものとは認められない。また、大学設置
基準第19条第1項の「体系的に教育課程を編成する」及び同条第2項の「専門の学
芸を教授し、幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を涵養するよ
う適切に配慮」の各要件を満たしているものとは認められない。
なお、念のため付言すると、本指摘は、宗教活動における「霊言(霊言集)」の意
味や妥当性に言及しているものではなく、あくまで学問的な見地からの指摘である。


幸福の科学大学を「不可」とする理由の根拠法令
【学校教育法】(昭和22年3月31日法律第26号)
第八十三条 大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を
教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。
2(略)
【大学設置基準】(昭和31年10月22日文部省令第28号)
(教育課程の編成方針)
第十九条 大学は、当該大学、学部及び学科又は課程等の教育上の目的を達成するために
必要な授業科目を自ら開設し、体系的に教育課程を編成するものとする。
2 教育課程の編成に当たつては、大学は、学部等の専攻に係る専門の学芸を教授すると
ともに、幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を涵養するよう適切
に配慮しなければならない。
平成26年10月29日
大学設置・学校法人審議会
大学設置分科会


幸福の科学大学(仮称)の審査過程における申請者の不適切な行為について(報告)
大学設置・学校法人審議会大学設置分科会は、「幸福の科学大学(仮称)」の設
置認可申請について審査を行ってきた。
大学設置・学校法人審議会における審査は、大学の設置認可の適否を判断するた
めの作業であり、公正さが厳しく求められている。そのため、審査は、大学の設置
等の認可の申請及び届出に係る手続等に関する規則(平成18年文部科学省令第1
2号)に基づき申請者から提出された認可申請書をもとに、「書面、面接又は実地
により行う」(大学設置分科会審査運営内規(平成18年大学設置・学校法人審議
会大学設置分科会決定)第3条第4項)とされ、審査すべき情報や審査方法が申請
者により異なるということが排除されている。また、審査過程においては、審議会
からの一方向の審査ではなく、申請者に意見・質問を伝え、適切な対応を求めると
いうプロセス(補正申請)も取り入れられている。
しかしながら、「幸福の科学大学(仮称)」については、審査途中において、創立
者の大川隆法氏を著者とする大学新設に関連する書籍が数多く出版され、申請者も
属する幸福の科学グループから本審議会の委員に送付されたり、今回の大学設置認
可に関係すると思われる人物の守護霊本が複数出版されたりするなど、通常の審査
プロセスを無視して、認可の強要を意図すると思われるような不適切な行為が行わ
れたことは、極めて遺憾である。
本審議会としては、学校法人幸福の科学学園による上記の行為は、大学設置認可
制度の根幹を揺るがすおそれのある問題であると考えており、大学設置認可に係る
公正な審査を期すためにも、文部科学大臣に上記事項を報告するものである。
以上

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コメント

(1) 審査手続きの重大な瑕疵
 当大学が、「幸福の科学」の宗教思想に基づく大学であることは当初から一貫して明らかにし、その審査プロセスで「『霊言』を含む幸福の科学の宗教思想に基づく大学は認められない」との是正意見は一切なかったにもかかわらず、最終的な答申段階で突如として、これを理由に「不可」の理由としたのは、文科省「大学設置分科会審査運営内規」に違反するだけでなく、大学設置審査制度の根幹を揺るがす、審査手続きの重大な瑕疵である。

(2) 審議会の機能に反する恣意的答申の不当性
 当大学3学部の教育課程は、それぞれ人文学(哲学、宗教学)、経営学、工学(機械工学、電気・電子工学)の既存のディシプリンに立脚し、学士課程として十分なものであることは申請手続のプロセスで明らかにされたにもかかわらず、教育課程の具体的な問題点を一切示すことなく“霊言が根底にある教育課程”なる事実誤認によって答申がなされたのは、審議会の「専門的見地から教育課程等を詳細に検討する」機能に基づかない、恣意的な答申である。

(3) 教育課程の事実誤認
 設置を予定している当大学3学部の教育課程は、それぞれ人文学(哲学、宗教学)、経営学、工学(機械工学、電気・電子工学)の既存のディシプリンに立脚することを明示していたにもかかわらず、答申は、1科目の参考テキストの一部記述のみを取りあげて、当大学の教育課程の全体が「霊言」に基づいているとしているのは事実誤認である。

(4)「霊言」の事実誤認
 答申は、霊言につき「大川隆法氏のみが行うことができる」と認定するとともに、「幸福の科学」のみの現象であるかのように認定しているが、事実誤認である。「幸福の科学」において霊言を行うことができるのは大川総裁に限らず10名ほど存在するし、「霊言」(啓示)現象は古今東西広く宗教及び精神世界に見られるものである。

(5) 新聞広告の社会的機能の事実誤認
 答申は、新聞広告に社会的信用の有無を判定する機能はない旨、断定的に認定しているが、新聞広告の掲載に際した新聞各社の厳格な広告考査の実態とその機能につき、明白に事実誤認している。

(1) 審査手続きにおける重大な瑕疵について
① 当大学が、「広く幸福の科学グループの宗教思想」をバックボーンとして、即ち霊的世界の存在を是とする宗教的理念に基づいて設立する趣旨は、2014年3月の本申請及び同年6月末の補正申請に際して文科省に提出した「設置の趣旨等を記した書類」等に、いずれも明確に記述している。
 そして、当大学の設置認可申請にあたっては、2012年5月より2年半近くにわたり、文科省高等教育局大学設置室に対する「事務相談」等を、合計40回近く行い、当大学設立の趣旨を書面だけでなく、口頭にても詳細に補足説明してきたが、「大川隆法及び幸福の科学グループの宗教的理念に基づき設立する」という当大学の設立理念に対しては、大学設置基準等の法令違反の指摘は、ただの1度もなかった。
 さらには、文科省が当学園に示してきた「審査意見(5月)」及び「審査意見(8月)」においては、この設置趣旨・設立理念そのものが大学教育において認められない旨の是正意見、すなわち「幸福の科学及び大川隆法の理念に基づいた大学設置はできない」といった是正意見は付されていなかった。
 にもかかわらず、最終段階の答申は、突如として霊言を行う教祖の思想に基づく大学は認められない旨を「不可」の理由とした。

② しかるに、文科省の「大学設置分科会審査運営内規」第3条3には、「審査の過程においては、原則として、新たな意見を付し、又はより強い意見に変更することを行わない。」と規定されている。答申は、この文科省自身の内規に明確に違反している。
 また、大学設置分科会からの意見伝達(大学新設の場合は通常2回行なわれる)と、申請者との修正・対応を通して設置認可を行う運用がなされている現行の大学設置審査制度の趣旨の根幹を揺るがす手続き違反である。

③ そもそも、「幸福の科学」が大量の「霊言に基づく書籍」(「霊言集」)を発刊し、それが立宗の基盤となっていることは公知の事実である。例えば、井上順孝・孝本貢・対馬路人・中牧弘允・西山茂編『新宗教事典』(弘文堂、平成2年3月)には、まだ立宗後3年程度の時点の「幸福の科学」の活動の特徴として、以下のように指摘している。

 大川隆法(1956─)が、東京に「幸福の科学」をつくって、大川自身が高級霊界から得たとされる霊言をまとめた『霊言集』を出すなど、活発な出版活動を展開している。(p.90)

 これ以外にも、沼田健哉(「幸福の科学の研究」〔『桃山学院大学社会学論集』24(2)、 pp.81~112、1990)、島薗進(『ポストモダンの新宗教』〔東京堂出版、2001〕pp.204~216、pp.229~240)、塚田穂高(「変貌する「幸福の科学」の今昔」〔『世界』〈岩波書店〉795号、2009、pp.129~138〕)等の学識者による論文・著作にも、幸福の科学の特徴的活動としての「霊言」が指摘されている。
 特に沼田(1990)では、「大川の著書の過半数は、霊界の高級霊との交流による「霊言集」や「霊示集」であるのが特色である」(p.81)、「大川は、……脱魂(魂の旅行)と憑霊(霊の憑依)の双方を兼備し、そのうえ審神者(さにわ)でもある霊能者として位置づけられる」(p.110)と、「幸福の科学」の「霊言現象」が分析されている。
 海外の宗教研究者によっても、「幸福の科学」の「霊言」活動は、学術的成果として広く国際的にも知られている。例えば、幸福の科学の活動を宗教学の側面から研究したドイツ語文献としてFranz Winter, Hermes und Buddha: Die neureligiöse Bewegung Kōfuku no Kagaku in Japan, Wien and Berlin: LIT Verlag, 2012. があるが、本書では、「霊言」について、“Geistgesprächen”(S.45.)あるいは “Geistworte” “spirituelle Aussagen” “spirituelle Mitteilungen”(S.47.) として記述されている。

④ したがって、大学設置分科会の委員全員が、当大学の再補正申請にて、上記事実を初めて知ったとは到底考えられず、いずれにしても、手続きとして重大な瑕疵があるものである。

(2) 審議会の機能に反する恣意的答申の不当性
 当大学人間幸福学部人間幸福学科〔学士(人文学)〕の学位授与基準は、独立行政法人大学評価・学位授与機構が示す「学士(文学)」(専攻分野は「哲学」又は「宗教学」)の基準を満たしている。
 同様に、未来産業学部産業技術学科〔学士(工学)〕における履修モデル(3種)は、同機構が示す「学士(工学)」(専攻分野は「機械工学」又は「電気電子工学」)の基準を満たしている。
 また、経営成功学部経営成功学科の教育課程については、大学設置分科会からの「審査意見(8月)」において、「本学部の教育内容があくまでも経営学のディシプリンに立脚するものであることを補正申請書において確認した」との同分科会の認識を確認している。
 つまり、大学が保有する本質的な機能が「学位授与権」にあるとすると(中央教育審議会2008年12月答申「学士課程教育の構築に向けて」「用語解説」における「学位」の項を参照のこと)、これら3学部の教育課程が既存のディシプリンにおいて、学位授与の基準を十分に満たしていることは明らかなところである。
 そして、今回の答申に際して、3学部の具体的な教育課程における是正意見は一切残っていなかったことを、文部科学省高等教育局大学設置室にも当学園は確認している。
 にもかかわらず、答申は、「霊言が根底にある教育課程」なる事実誤認の理由一点のみで、すべての学部をふくむ大学設置のすべてを「不可」とした。
 これは、審議会の本来の機能である、「専門的見地から教育課程等を詳細に検討する」という趣旨に基づいたものとは到底考えられない、極めて恣意的なものと言わざるを得ず、許されるものではない。

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