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2015年5月18日 (月)

大川隆法氏が救世主や再誕の仏陀である根拠はあるのか? その1

実は、この記事は私が以前に書いた記事を一部変えて新たに記事にしたものです。以下のアドレスをクリックして、よろしければこちらもお読みください。

http://pundarika7.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/2-a02e.html

さて、幸福の科学では大川隆法氏をエル・カンターレと称して、地球神、至上神、救世主、再誕の仏陀と位置づけています。

幸福の科学HPではエル・カンターレについて以下のように解説しています。

(以下、一部転載)

幸福の科学の信仰の対象は、主エル・カンターレです。
エル・カンターレとは、「うるわしき光の国、地球」や「地球の光」という意味で、その名の通り、地球の最高神です。
全人類の魂の親である主エル・カンターレへの信仰、地球神信仰によって、地球はひとつになることができます。

(中略)
主エル・カンターレは、地球のすべての神々を導く存在であり、キリスト教的にはイエス・キリストが「わが父」と呼んだ方、イスラム教的にはアッラーです。
そして、主エル・カンターレは、現代の日本に大川隆法総裁として生まれられ、西洋文明と東洋文明を日本という地で融合し、全人類を導く教えを説かれています。

天上界においても神秘のベールに包まれていた存在、地球の最高神主エル・カンターレ。主エル・カンターレは、その魂の分身を地上に幾度も送り、過去のさまざまな文明を創造されました。ゴータマ・シッダールタ(お釈迦さま・仏陀)、ヘルメス、オフェアリス、リエント・アール・クラウド、トス、ラ・ムーは、主エル・カンターレの魂の一部、分身です。

(以上、一部転載了)

では、そもそも大川氏がエル・カンターレであるというならば、その根拠、証拠はあるのか。根拠や証拠は何か、そこにどうしても行き当たります。

自分のことを神だと言う人がいたら、神だと言う証拠は何かと聞かれるのは当然です。

すると、

大川隆法氏著『人間学の根本問題』にこのような記述があります。

幸福の科学の初期に、大川氏が仏陀や救世主である証拠はあるのかと問われたとき、大川氏は次のように返答したとあります。

(以下、『人間学の根本問題』116〜117ページより転載)

そのようなとき、私は、内村鑑三が言っていた言葉も使って返答をしていました。
「そうした救世主というのは、『われは、それなり』と、自分で言うものなのです。過去を見ても全部そうなのです。『自分が、それである』ということをみんな言っています。あとは、それを周りが認めるかどうかなのです。先に、他人様が認め、指名してなるようなものではなくて、『われは、それなり』と、みんな、自分で悟って言っています。そうした人が救世主なのです。

(以上、転載了)

仏陀や救世主であると自分で名乗るのが、その証拠、証明だというのです。

そこには、仏陀や救世主であるならば、このような形相になるとか能力があるとか、このような修行過程を経たとか、といった証明はないのです。

まして、仏陀であることを証明するのに、キリスト者の内村鑑三の言葉を持ち出すくらいですから、仏陀であると言っても、原始仏典や大乗仏典のどこにも、その根拠を見出すことさえ出来なかったということです。

仏陀について語るのに、内山鑑三氏という一キリスト者の言葉、それもたった一言だけを抜き取り、それを根拠にしようとしているのです。

すると、仏陀といっても幸福の科学での仏陀は仏教の範疇にとどまるものではないと、幸福の科学の会員の方から反論があるかも知れません。

それならば、大川氏の存在が救世主だの仏陀だのとするのであれば、内村鑑三という一個人のただの一言にすがるのではなく、他に救世主や仏陀らしい、自らの存在の証明方法があるのではないか、と思うのです。

しかし、ここで大川氏は決定的な過ちを知らずに永いこと口にしていたことがあります。

それは内山鑑三氏が語った言葉として大川氏がこの著書でも書いている言葉。

『われは、それなり』

この言葉は、実は新約聖書のヨハネ伝4:26にあるイエスの言葉なのです。

大川氏は、新約聖書にあるイエスの言葉と知らずに自らを再誕の仏陀である証明として、その言葉を遣っていたのです。

参考までに、下記に大正期発行の新約聖書のヨハネ伝の一部を転載しておきます。

4:22汝らは知らぬ者を拜し、我らは知る者を拜す、救はユダヤ人より出づればなり。 4:23されど眞の禮拜者の、靈と眞とをもて父を拜する時きたらん、今すでに來れり。父はかくのごとく拜する者を求めたまふ。 4:24神は靈なれば、拜する者も靈と眞とをもて拜すべきなり』 4:25女いふ『我はキリストと稱ふるメシヤの來ることを知る、彼きたらば諸般のことを我らに告げん』 4:26イエス言ひ給ふ『なんぢと語る我はそれなり

(以上、転載了)

想像するに、新約聖書にあるイエスの言葉とされる一句を内村鑑三が用いたのを、大川氏はそれを内村鑑三の言葉だと誤解したのでしょう。

新約聖書の言葉であることも知らず、内山鑑三氏の言葉と思い込んでいる上に、新約聖書の一句を根拠にして、大川氏が仏陀であることを証明できるはずがありません。仏教の問題の論拠が新約聖書などのはずがないのです。

それでも、仏陀は仏教の範疇を超えた存在だのと幸福の科学は説明するのかも知れません。

しかし何でも根拠として出せばよいものではありません。

結局は、幸福の科学とはいろいろな宗教などから、自分に都合のよい部分を継ぎ接ぎしていると言えるでしょう。

世の中、大川氏の他にも、自分を神だと名乗っている人もいます。

そのような人と大川氏とはどこが違うのでしょうか。

仏陀だの救世主だのと自分を名乗る大川氏の言葉を真に受けた人たちが集まった。それが幸福の科学だと、大川氏は幸福の科学の本質を、この本で見事言い当てています。

実は、この記事は私が以前に書いた記事を一部変えて新たに記事にしたものです。以下のアドレスをクリックして、こちらもお読みください。

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コメント

プンダリーカの部屋さん、こんばんわ。


>「そうした救世主というのは、『われは、それなり』と、自分で言うものなのです。
>過去を見ても全部そうなのです。
>『自分が、それである』ということをみんな言っています。
>あとは、それを周りが認めるかどうかなのです。


要するに、「自己申告」が救世主の条件だという意見みたいですね?
  「私はきちんと税務申告をしました。
   これが『優良納税者』の証明なのです。
   あとはそれを税務署が認めるかどうかなのです。
   私は「優良納税者(救世主)」なのですから、私の自己申告が正しいのです。
   もし税務署が私の申告を認めないのなら、
   それは税務署が『信仰心(納税者を信用する心)』をなくしたという事なのです」
とでも言いたいのでしょうか?
手前勝手な言い草としか言えません!

エル・バカターレさま、コメントをくださりありがとうございます。

今、私が連載している、この問題は信者の方もアンチの方も見過ごされていますが、実はこれこそが幸福の科学の根幹になる問題ではないかと思うのです。

と申しますのは、幸福の科学の信者でいられる絶対条件とは、大川隆法氏をエル・カンターレと称して、地球神、至上神、救世主、再誕の仏陀として信じられる(そのように受け止められる)ことではありませんか。

それができるから信者でいられ、それができなくなれば退会するのではないでしょうか。

幸福の科学の「四正道」などの教義は、幸福の科学のなかでは大川氏を地球神、至上神、救世主、再誕の仏陀として崇めることに比べたら、大したことではないのでしょう。

これは「エル・バカターレ」さまが詳しいと思いますが、「四正道」「あの世の存在」などの教義に疑問をもち、それで退会した方がどれだけいるかということです(私の想像では、「四正道」などの教義への疑問が理由で退会した方はそれほどいないと思うのです)。

やはり幸福の科学を退会された方の多くは、これも私の想像ですが、「あの世」の存在が信じられなくなったから、「与える愛」に価値を見出せなくなったからというよりは、大川氏の位置づけへの疑問や、大川氏個人への尊崇の念がなくなったことによるところが大きいと思うのです(その拍車を掛けたのが、総選挙での惨敗や離婚問題でしょう。「神」なのに教団の器量を知らず、予見もできずに、結果、信者さえも巻き込んで惨敗し、また離婚問題ではいくら繕っても宗教者らしからぬ言動を繰り返したのですから)。

そのようなことを考えると、大川氏が自称するように、そもそも「神」「救世主」「仏陀」なのか、そこを検証することは必要だと思うのです。

重ねて「エル・バカターレ」さまに御礼を申し上げます。

「日本で行われる裁判で中国やイギリスの法律を用いて、弁護や追及、判決などあるのか、それと同じことをしているのです。」

 はじめまして。幸福の科学を観測しているgurenekoと申します。
 全体的に非常に高いレベルの記事だと思い、感心した次第です。
 しかし上に引用した部分は、比喩として少々不適切であると感じました。というのは、日本で行われる裁判でも、外国法を用いた裁判はしばしばあるからです。例えば、日本で暮らす中国人夫婦の離婚裁判等では中国法が用いられますし、国際的な契約で「何か問題が起きたらイギリス法で解決するものとする」という約束があった場合には、その契約関連の紛争の裁判では、日本の裁判官でもイギリス法に基いた判決を下します。
 詳しくは「法の適用に関する通則法」の第三章にあります。

 最初のご挨拶が揚げ足取りみたいな文章になってしまってごめんなさい。
 これからもしばしば拝見しに来たいと思っております。

gurenekoさま、拙ブログをお読みくださり、また、コメントをくださりありがとうございます。

ご指摘の点を直して掲載しました。例話であっても誤解を招いたり事実と異なったりしましたら、私の申し上げたい内容が伝わなくなりますから。

またお読みいただけたら幸いです。

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