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2015年5月28日 (木)

大川隆法氏が救世主や再誕の仏陀である根拠はあるのか? その8

この「大川隆法氏が救世主や再誕の仏陀である根拠はあるのか?」もシリーズ化して、今回で8回目。

その間にいくつかコメントをお寄せいただきました。

そのなかから、tra1uwさまからのコメントをご紹介します。tra1uwさまの個人情報の流出などご迷惑をおかけしないと判断して、勝手ながら転載させていただきます。

大悟の法にも同様の表現がありますね。
「もちろん、仏陀は物理的には歩いていたのでしょう。」 24ページ
「彼は美貌の青年であり、青年期特有の欲情を、それなりに持っていたのだろうと思います。おそらく、それが外に出てきていたのではないでしょうか。」37ページ
アングリマーラは有名な仏弟子だったから、仏陀その人ならよく覚えているはず。なのに、なぜ、「...でしょう。」 とか 「...ないでしょうか。」 という推測のような表現になるのか?と思います。
また、釈迦は、過去の転生の中で、ボサツとして自己を犠牲にし、他者への慈愛を実践して、その結果として今の仏陀になったと、多くの仏典に書かれています。ところが、幸福の科学では釈迦の転生は、いきなりラ・ムーに始まり、トス、リエント・アール・クラウド、オフェアリス、ヘルメス、釈迦、となります。最初から悟った存在という事のようであり、仏典に書かれている内容とは異なっているように思われます。

tra1uwさま、コメントをくださりありがとうございます。
とても参考になりました。このシリーズの後に、いただきましたコメントを記事として紹介させてください。

 大川隆法氏が過去には釈尊であったこともあると、大川氏や幸福の科学では説明していますが、それならば、釈尊であったことの記憶が、大川氏が釈尊であったことの一つの証拠になると思います。本人だから知っているという事実こそが証拠になります。


ところが、当時の釈尊について、大川氏は「だと思います」「でしょう」「わかりません」「ではないでしょうか」といった当人を知らない第三者が想像でものを言っています。
大川氏は自身は過去に釈尊でもあったと言っても、所詮は第三者でしかないということを大川氏の語り口が物語っているのです。
たとえるならば、「私が犯人です」と自供しても、犯人であるからこそ知っている事実が無ければ、その自供の信憑性が乏しいと思われるのは当然のことです。それと同じです。

 重ねてコメントをくださったことに感謝します。

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