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2015年5月21日 (木)

大川隆法氏が救世主や再誕の仏陀である根拠はあるのか? その3

以前、私がこのブログで取り上げた幸福の科学系雑誌『Liverty』のHPからの転載が以下の記事です。よろしかったらクリックしてご一読ください。この記事を手直ししてアップします。

http://pundarika7.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-119b.html

幸福の科学系雑誌『Liverty』のHPにあった記事をもとに私なりに考えました。

その『Liverty』のHPにあった記事を連載で私なりに考察したのが、下のアドレスにある記事です。

http://pundarika7.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/12-9984.html

http://pundarika7.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/12-162f.html

http://pundarika7.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/14-f403.html

http://pundarika7.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/15-32bd.html

以上の4回シリーズです。

この以前に書いた記事を手直ししての復活になりますが、

今回も(これでこのシリーズは3回目になりますが)幸福の科学の大川隆法氏が自身を救世主や再誕の仏陀などと称している根拠とは何かを検証したいと思います。

この『Liverty』の記事を書いた人は、「仏陀再誕は有り得ない」と仏教(学)的にはごく普通のことを本で書かれたことに対して、その反論をしようと、大川氏が「再誕の仏陀」であることを自分なりに論証しようと試みたのでしょう。その人にとっては力作だったはずです。

でも残念。この『Liverty』の記事を読んでみると、幸福の科学(大川氏)が言うところの「再誕の仏陀」「仏陀再誕」なるものが、いかに脆弱な論理、いや論理にもなっていない言葉でしか説明できないことを露呈してしまいました。

これからお読みいただくとご理解いただけると思いますが、仏陀(釈尊)が再誕したのが現在の大川隆法氏であるという幸福の科学の根本的な教え「仏陀再誕」を、仏教経典や浄土教学の中から説明をしようにも、それで説明がつかない(論理矛盾を起こした)となると、既存の仏教経典や仏教学、上座部仏教を否定してしまいます。それで足りないと思ったのか大川氏の著書を根拠にしてみたり、論理を補強するつもりなのかキリスト教の例を持ち出したりもします。結局は支離滅裂になってしまいました。

それをもって「仏陀再誕」を論証しようなどあり得ない話をしているのです。

(太字部分は幸福の科学系雑誌『Liverty』のHPからの転載。太字でない部分が私の考察)

「仏陀は再誕しない」は極めて不自然な思想

 上座部仏教では、悟りに到達して仏陀となった存在は転生輪廻から解脱し、もはやこの世界には生まれ変わってこないと解釈されている。最近、仏教活動家の佐藤哲朗氏はこの上座部仏教の教えに基づいた『日本「再仏教化」宣言!』という本の中で、「(仏陀は)輪廻の世界から『解脱』を果たした方です。ですので、絶対に『再誕』などしないのです」と述べ、大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁を「再誕の仏陀」として信仰する同教団を批判した。そこで、上座部仏教の最大のポイントの一つである「仏陀再誕否定論」を検証してみたい。

 上座部仏教は、成立が古いとされるパーリ語の原始仏典を聖典としている。そして、そのパーリ仏典をひもとくと、確かに、釈尊の教えの基本として、苦しみばかりの転生輪廻から逃れるべきことが説かれている。悟りを得て仏陀となり、迷いの転生輪廻の輪から解脱する(もうこの世には生まれてこない)ことこそが仏教の目的であり、八正道をはじめとする教えはそのための方法だというのである。

 すると、釈尊は悟りを得たのであるから、「仏陀となった釈尊が再びこの世に生まれ変わってくることはない」という解釈が成り立つ。パーリ仏典やそこからの翻訳を含む漢訳の阿含経典の中には、釈尊がもはや生まれ変わらないと自ら宣言している箇所もあるため、一見、この解釈は動かし難いように思える。過去にも多くの仏陀がいたという「過去七仏」や、未来に仏陀が出現するという「未来仏」の思想も、あくまで釈尊とは異なる存在という位置付けだ。

 確かに、「仏陀は迷いの輪廻を脱する」という教えは繰り返し説かれており、それが原始仏典の中心的な教義であることは間違いない。しかしその一方、そこには「仏陀となってしまえば、この世への転生が(たとえ仏陀自身が希望しようとも)不可能となる」とまでは書かれていない。

「「仏陀となってしまえば、この世への転生が(たとえ仏陀自身が希望しようとも)不可能となる」とまでは書かれていない。」とありますが、これは詭弁ではないですか。

仏陀の転生が不可能だと経典に書かれていないから仏陀の転生は可能だと言いたいのでしょうが、ならば、仏陀になっても転生するだの、仏陀も希望すれば転生するだのと経典に書かれていますか。

仏陀の転生が可能か不可能かを論じ、そこから仏陀の転生が可能だと意図的に導きこうとしています。
しかし、仏陀の転生の可能性(能力)を論じることが本当は問題の本質ではありません。
つまりは問題のすり替えをしているのです。

問題は、仏陀は再誕するのか否か、であって、仏陀は転生できるか否か、を論じて、そちらに問題をそらせています。

 原始仏典においても、釈尊は数多くの奇跡を起こし、常人を超えた威神力を示している。その釈尊が「仏陀となった」という理由で、他の衆生でもしている転生輪廻ができなくなるというのは極めて不自然な考え方ではないだろうか。素朴な宗教的感情からしても、やはり「仏陀となったならば、強制的な迷いの転生輪廻からは解放される。しかし、衆生救済のため、自らの意志によって再誕することはありえる」と解釈するのが筋だろう。

(仏陀でない)「他の衆生」が転生するのは、転生「できる」からではありません。つまり本人(他の衆生)の意思で転生したいから転生するのでも、転生する能力があるから転生するのでもありません。転生せざるを得なくて転生しているのです。

それにしても、仏陀も転生する、その論拠もなく、ただ「救済のためには転生するくらいのことはあってもおかしくない」というのは、それは単なる個人的な思いとして、仏陀が転生してくれたらという願望はあるにしろ、その一個人の思いをもって仏陀再誕の論拠にはなりません。

(つづく)

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