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2015年6月 5日 (金)

幸福の科学大学の開学が不認可になった理由を考える その3

(前回につづく)

転載した記事を読めば、幸福の科学の信者以外からすれば、よく言う「自画自賛」です。

信者以外からすれば「著名な宗教学者の守護霊の言葉だとして大川氏が、大川氏や幸福の科学を褒めた」「自分で他人(守護霊)の言葉のようにして自分を褒めた」としかなりません。

そもそも現役で活躍されている学者3氏に直接「幸福の科学をどう思いますか?」「大川氏の霊言をどう思いますか?」と尋ねれば、誰もが納得するのに、わざわざ3氏の「守護霊」に聞いたという、信者でなければ到底納得されない行為です(これを批判されると、神聖な宗教行為への冒瀆だ、守護霊の言葉は「本音」だと反論するのですから、よくて平行線)。

学者3氏の「お褒めの言葉」が守護霊の「お褒めの言葉」だったというオチです。
それでも3氏は日本の宗教学を代表する学者なので、3氏の名前で大川氏や幸福の科学、霊言の「お墨付け」ができたとでも思っているのでしょうか。

転載した文中に「宗教学者には幸福の科学を分析し切れない」とありますが、確かに宗教と学問とは違う、学問では信仰は理解できない、という考えはあり、それはそれで理はあるでしょう。

しかし、「宗教学者には幸福の科学を分析し切れない」と言ってしまえば、大学を開学する意味も失うのです。

やはり大学は学問を教授し研究するところでしょう。

学者に幸福の科学を分析しきれないと初めから学問的な検証を否定するかのような発言をしてしまえば、幸福の科学大学をわざわざ開学する理由も失くしてしまいかねません。

キリスト教にも、天理教にも教義に(普通には有り得ない、起こり得ないと思われる)神話的要素はあります。その神話的要素が教義になってもいます。しかし、それはそれとして学問的検証・批判をしながら(学問的検証や批判を受けながら)宗教の教義だけでなく、学問としても発展し、それが教義の深化にもつながっているのです。

そのようにして宗教の教義が学問的にも確立・発展していくのです。

そのための作業をするためにも、研究所があり、研究員がいるのです。

そうした学問的検証・批判の作業を経て、大学で教授するに値する学問になっていくのでしょう。

ところが、幸福の科学に関する著書のほとんどは教祖の大川隆法氏によるもので、教義の概説書にあたるものまで自らが執筆している(著者になっている)ことが多いのです。

あるいは数は少ないですが教団の職員が編集しています。

つまりは自己完結型です。自分で言ったことを自分で説明しているだけ。自分の言葉の註釈まで自分で付けるような。

大川氏による霊言(著書)をそのまま講義に使いたいということでしょう。

これでは幸福の科学の教義(霊言)を大学の講義に正規に持ち込みたいとしても、大学で教授するに値するレベルにまで熟成させてこなかったと言わざるをえません。

(つづく)

 

 

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