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2015年11月19日 (木)

大川咲也加氏の「過去世」なるものにみる矛盾 その2

(前回につづく)
そこで一つ作業をした。
ネット上で見つけた大川咲也加氏の「過去世」の人物の系譜と、『天理教開祖 中山みきの霊言』にある大川氏が天理王命(天理教の祭神)の霊言として言った大川咲也加氏の「過去世」の人物の系譜に生没年を書き加えて重ねてみよう。
すると、
琴座ベガ中心星の女王⇒天照大神⇒ヤショーダラー(BC6世紀頃)⇒ 豊玉姫⇒光明皇后(701-760)⇒ 楊貴妃(719-756)⇒恵信尼(1182-1268)⇒ヤン・フス(1369-1415) ⇒吉田松陰(1830-1859) ⇒中山みき(1798-1887)⇒中川君子⇒大川咲也加氏
となる。
すると、ここで、大川咲也加氏の「過去世」なるものにいくつか矛盾が浮かび上がってきた。
一つは、光明皇后(701-760)と楊貴妃(719-756)の2人は生没年がともに近い。幸福の科学の教義では「転生輪廻」(生まれかわりを続けること。仏教では「輪廻転生」と言うが、幸福の科学はGLAの教義を真似た名残りがこの言葉になる)を説くが、2人が同時に生きているという矛盾を起こしてしまっている。光明皇后の生まれ変わりが楊貴妃ということはあり得ないということだ。
二つ目に、吉田松陰(1830-1859) と中山みき(1798-1887)の2人も生きていた時期が重なる。
三つ目に、『天理教開祖 中山みきの霊言』を見ると、大川氏が天理王命(天理教の祭神)の霊言なるものとして口にしたが、大川咲也加氏の「転生」の順番が吉田松陰(日本・1830-1859) の次に中山みき(1798-1887)としている。吉田松陰の生まれ変わりが中山みきだと大川氏は天理王命の霊言なるものとして言いたかった。でも、歴史的事実として、中山みきのほうが吉田松陰よりも早く生まれている。となると、順番だけで言っても、中山みきの「転生」が吉田松陰のはずがない。まして、吉田松陰のほうが中山みきよりも先に亡くなっている。となると、中山みきの生涯(時間)のなかに吉田松陰の生没年が入っているということだ。
このような矛盾を起こしている。
(つづく)
 

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