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2015年11月13日 (金)

憲法改正案を読んでみた 1

今、憲法の改正の是非が問題になっている。

そこで、自民党の改正案を読んでみた。

「家族は、互いに助け合わなくてはならない。」(自民党憲法改正案第24条の一部)とある。

この文言にほとんどの人は疑問を感じないだろう。「当たり前だ、家族だからお互い助け合うのは。」と。

ただ、私は疑問を感じた。なぜか。なぜ「家族は、互いに助け合わなくてはならない。」(24条)とわざわざ憲法で定めなくてはならないのか、そこにある。

それならば、「食事の前には、いただきます、と言わなくてはならない。」「食事の後は、ごちそうさまでした、と言わなくてはならない。」と決めるのか。

そんな倫理道徳・自然の情愛、情緒までなぜ憲法で規定しなくてはならないのか、そこに疑問がある。

こういうことを言うと日本の伝統や家族のあり方を否定するのかと反論もあるかもしれない。断っておくが、別に倫理道徳・自然の情愛、情緒、あるいは日本の伝統や家族のあり方を否定や破壊をしたいのではない。

ただ、繰り返して言うが、なぜ倫理道徳・自然の情愛、情緒、伝統まで憲法で規定しなくてはならないのかということである。

現在の日本を見てほしい。

少子化、非婚化、晩婚化、核家族化、高齢化、過疎化、若年層の大都市への流出・流入で単身世帯が増えているではないか。あるいは、家族がいても高齢や病症などで家族に頼れないこともあるではないか。その現実を脇に置いて、「家族」のあり方を規定することにどのような意味、どれほどの価値があるのか。

むしろ公的扶助を受けなくては生活が困難な高齢者のいる世帯や、収入が少ない世帯が増えているではないか。

頼れる家族がいない、あるいは、家族だけでは力が及ばない、そういった世帯が多くなってきているということだ。

「高齢の親の介護を子ども一人では担いきれない」「障がいのある子どもの扶養を親だけでは担えない」「夫婦で共働きをして倹約をしても生活費が足りない」「夫が働けなくなり妻の自分が働いても生活が難しい」といった例はいくらでもあることだ。

それらの世帯に、「家族は、互いに助け合わなくてはならない。」と規定して、自助努力を義務付け、家族の問題は家族で解決せよと迫る、その根拠にしようとはしていないだろうか。

それがただの下種の勘繰りならばいい。しかし、どうも下種の勘繰りでなさそうなところにこの先の日本の危うさを感じるのだ。

そもそも憲法とは国民に義務を規定するものではない。憲法とは国家権力から国民を守るためのものである。

自民党の憲法改正案を見ると、近代国家の憲法とは真逆のほうに向かって、憲法は国民を規定するためのものと言わんばかりだ。

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