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2015年11月 7日 (土)

大川隆法氏の伝教大師最澄と酒井雄哉大阿闍梨の霊言なるものを少し検証しました その9

(前回につづく)
次に、 このブログの前回の記事(「大川隆法氏の伝教大師最澄と酒井雄哉大阿闍梨の霊言なるものを少し検証しました その8」)で転載した幸福の科学の信者の方のブログ『LEO 幸福人生のすすめ』さんの記事「『酒井雄哉 日本天台宗大阿闍梨に引導を渡す』の感想」にいくつか以下に転載する文があります。
興味深いので転載します。
どうも偉大なる悟りを得ている人には思えません。
(中略)
何より問題なのは、自分は悟りを開いたとか、生き仏なのだとか、自己評価が異常に高いこと。
(中略)
悟ったとか、解脱したとか、自分は仏だキリストだ、などと幾ら口で言ったって、 それだけの実績も無く、客観的に言っても成仏すら出来ていないでは、お話になりません。 こういう自信過剰の人は、自己愛にもとづいた自惚れ、過信がほとんどで、 外から見たら、単なる自惚れ屋にしか見えないし、あまりに自信満々すぎる態度に、不思議ささえ感じてしまいます。
やはり人は、謙虚でなければいけないし、本当の自信というものは、神仏の子としての自覚から来る自信であって、それゆえ必ずや謙虚さを伴うもの。 謙虚なる自信こそが、本当の自信というもので、うぬぼれや傲慢は、それとは真逆のものに過ぎないと、自分は思っています。
(中略)
自分の過ちを認める心。 自惚れ心を去り、本当に自分は、真理の言葉を語れるほどに、悟っているかどうか。 光を発するほどの心境になれているかどうか。
(中略)
自分は悟っている、とか、光の天使なんだ、とかすぐに思いあがる人ほど、実は危ない。
(以上は転載した記事の一部)
全くその通りです。ただし、それは酒井師のことではなく、大川氏のことを指しているという意味で。
これらの箇所にはうなずきました。ずばり大川氏のことを言い当てている感があります。
仏教では「妄語」(ウソをつくこと)を戒めています。
特に「大妄語」といって、悟っていないのに自分は悟った(悟っている)と口にすることを戒めています。 これは私の想像ですが、修行の途中でありながら悟ったと思えば、そこで自身の修行を断絶することになり、また、他者を惑わすことになるからでしょう。
大川氏は自身を再誕の仏陀だの大悟しただのと言っています。 本当に大川氏は再誕の仏陀なのか、大悟したのか検証する必要があると思います。
それは大川氏自身のためにも、そして、大川氏の言葉を信じて、それを拠り所にする人たちのためにも。 つまりは大川氏は人々を正しい方向へと導いているのか、それとも人々を惑わせているのか、前回(「大川隆法氏の伝教大師最澄と酒井雄哉大阿闍梨の霊言なるものを少し検証しました その1」と「大川隆法氏の伝教大師最澄と酒井雄哉大阿闍梨の霊言なるものを少し検証しました その6」)に転載した『ザ・リバティ』の記事にあるように、宗教(ここでは幸福の科学)の正邪を論じる必要があるのかもしれません。
(つづく)

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