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2015年11月 4日 (水)

大川隆法氏の伝教大師最澄と酒井雄哉大阿闍梨の霊言なるものを少し検証しました その6

(前回のつづき)

次に、

今回の読売新聞の記事は、生前の酒井氏の業績を称える内容となっているが、真実を伝えることが使命のマスコミには、それぞれの宗教の教えが正しいか否かという価値判断も求められる。言論の自由は大事だが、「誤報」によってミスリードすることは許されない。

(以上、『ザ・リバティ』HPより転載)

読売新聞の記事で、遷化(僧侶が亡くなること)した酒井師の業績を好評したことが気に喰わないようですが、そもそも訃報で亡くなった方の信仰している宗教の批判・評価まですべきかという問題意識は幸福の科学側にはないのでしょうか。だいたい訃報とは、亡くなった方がどのような方だったのか、どのようなことをされたのかが載っているものです。

それなのに、一般紙が訃報でそれぞれの宗教が正しいか否かまで報道する必要などあるのでしょうか。宗教の正邪といった評価は宗教界のなかでやればいいことで一般のメディアにまで求めるのはお門違いではないでしょうか。

まあ、亡くなった方のことまで霊言なるものの形で誹謗するのは幸福の科学くらいでしょうから、そんなことを一般紙に要求しても当然くらいに思っているのでしょう。

この幸福の科学側の論法でいけば、たとえば、マクドナルドの記事が出たら、マクドナルドの商品が美味しいか否かまで書き、芸能人の記事が出たら、その芸能人にどれだけの才能があるのか否かまで書かないとならないのかということです。

繰り返しますが、上記の『ザ・リバティ』のこの記事で指す

今回の読売新聞の記事は、生前の酒井氏の業績を称える内容

とは、酒井師が遷化(僧侶がなくなること)したことを報じた記事で、その記事に

それぞれの宗教の教えが正しいか否かという価値判断も求められる。

として、宗教批判など載せるほうがどうかしていると思います。そんな訃報と一緒に宗教の正邪を決する論評まで載せるべきと、この『ザ・リバティ』の記事を書いた方のセンス、常識が疑われるのではないでしょうか。

(つづく)

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