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2015年11月 3日 (火)

大川隆法氏の伝教大師最澄と酒井雄哉大阿闍梨の霊言なるものを少し検証しました その5

(前回のつづき)

まあ、大川氏は、立ち読みのような何となくこんなことが書かれていたな程度の知識を自分のなかで「こんなことだろう」と解釈・理解をして、「霊言」なるもののなかで口にしているというところではないかと考えます。

これは私の印象ですが、大川氏は仏教語を話のなかに用いて、それが出版されていますが、実に粗削りというのか、深みがないというのか、「こんなことだろう」程度で自身のなかで理解したままに口にしている感じがします。

素人がなまじか仏教語を使うとこんな感じというところで、やはり基礎から学んでこなかったツケが出ていると思います(いずれこのこともこのブログで書きたいと思います)。

余計なことを言えば、大川氏は自身におそらくインテリという意識があるから、本をパラパラと見たくらいで知識が頭に入ると思っているのではないですか。ですから、何度も読み返したり、咀嚼したり、試行錯誤したりしてから話すのでなく、簡単に入れた知識を自身のなかで勝手に解釈してそのまま話している感があります。

ところがその素人らしさが世間の人には新鮮に映ったのかもしれません。

幸福の科学の元信者の方が入信した理由を「教えがわかりやすかったから」と言われたのを聞いたことがあります。

「わかりやすい」のは「良い」ことですが。「良い」というのは、「事実、真実」をわかりやすく話されているならばの話です。

ですから、「わかりやすさ」だけでは、私は「良い」とは思えません。

大川氏の霊言なるものに話を戻せば、ほかの霊言なるものでもそうですが、大川氏の霊言なるものは、どれも一般には知られていないエピソードで、かつそのエピソードを調べれば事実だと裏付けられるものが乏しいのも特徴です。

たとえば、酒井雄哉大阿闍梨の霊言だとして、酒井師がお堂のなかで修行で断食をしているはずが、実は弟子がお肉を密かに酒井師に差し入れしていたというエピソードなるものを明かしていますが、これが事実なのか確かめることができません。

大川氏の霊言なるものの大きな特徴は、専門家も含めて誰もが検証も確認もできないことを、本人にしか知りえない情報・エピソードとして語っていることです。誰もが知らない、確かめることもできないことを言って、(誰もが知っていることではなく)本人しか知らないことだから霊言は信用できるという理屈を幸福の科学側は出してくるのです。

私らからすれば、本人しか分からない(事実を確かめられない)ことを言われても、それが事実かどうかは分からない、としか言いようがありません。

(つづく)

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