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2016年1月14日 (木)

立憲主義と自民党改憲案―憲法の本質を問う

立憲主義と自民党改憲案―憲法の本質を問う

2013年07月17日 公開

伊藤 真(弁護士、伊藤塾塾長)

《PHP新書『憲法問題 なぜいま改憲なのか』より》

 

憲法とは? 立憲主義とは?

 みなさんは憲法について、どのような印象を持っているでしょうか。

 「世の中にはいろいろな法律があるけど、憲法は法律の親分みたいなものでしょ」

 このように、憲法は法律の最上級版で、すべての法律のベースになるものだと考えている人は多いでしょう。

 しかし、憲法が法律の最上級版という見方には誤解があります。なぜなら、憲法と法律は、そもそも成り立ちが異なるからです。

 法律は、市民が守るべきルールです。たとえば私たちが飲酒運転をすれば、道路交通法という法律に違反したとして検挙されます。私たちが税金を納めるのも、所得税法をはじめとした税法があるからです。こうした法律のおかげで、私たちは安全な社会生活をおくることができます。

 では、憲法はどうでしょう?

 じつは憲法は、国家を縛るルールです。社会の秩序がめちゃくちゃにならないように法律が市民を取り締まるのと同じように、国家がおかしなことをしないように一定のルールを課す。それが憲法の役目なのです。

 日本国憲法(以下、現憲法)第九十九条には、こう書かれています。
   

 現憲法 九十九条
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
  

 この条項は憲法を尊重して守る義務(憲法尊重擁護義務)について定めたものですが、対象者に国民は含まれていません。このことからも、憲法を守るべきなのは国民ではなく国家のほうであることを理解していただけると思います。

 では、どうして国家を縛るルールが必要なのでしょうか。

 それは、ときに国家権力が暴走して、私たちの生活を脅かすことがあるからです。国家が何の制約もなく好きに法律をつくってよいのであれば、税金だって取り放題だし、気に食わない人は逮捕し放題になるかもしれません。それを防ぐために、憲法によって国家を縛りつけておくのです。

 このように憲法によって国家を律して政治を行うことを、「立憲主義」といいます。近代国家は立憲主義にもとづいて政治が行われています。つまり、およそ近代国家と呼ばれる国はどこでも、国家権力に制限をかける憲法を持っていることになります。もちろん日本も立憲主義で政治を行う国の1つです。

 憲法は、国家を縛るための重要なルールです。この点は時代が変わっても変わりありません。ところがいま、その大事な憲法に改正の動きがあります。

 自主憲法の制定を党是として掲げている自民党は、2012年4月27日に「日本国憲法改正草案(以下、改憲案)」を発表しました。これは日本国憲法の一部を書き換えるというレベルではなく、全体を見直す改憲案になっています。

 改憲案を発表した当時、自民党は政権与党ではありませんでした。しかし、2012年12月に政権交代をして第二次安倍内閣が発足しました。以後、憲法に関する議論が活発になっています。

 憲法のことがみなさんの話題にのぼるのはいいことだと思いますが、気がかりなのは、改憲案の内容が、近代国家の基本といえる立憲主義からかけ離れた内容になっていることです。象徴的なのは改憲案の以下の条項です。
   

 改憲案 百二条1
 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
   

 憲法を守る義務があるのは、国民ではなく国家です。ところが改憲案は、国民のほうに憲法を守ることを強いています。これは立憲主義とは正反対の考え方であり、改憲案は近代国家における憲法のあり方を根底から無視しているといわざるを得ません。

 立憲主義がないがしろにされれば、国家が国民に保障している自由や権利はさまざまな制約を受けるでしょう。国家が憲法を守らなくていいことになれば、政府に批判的な表現活動をしている人が何らかの規制を受けたり、財政難を理由に最後のセーフティネットである生活保護費が削られたりする可能性だってあります。そのような生きづらい社会にしないために、憲法は立憲主義の原則から離れてはいけないのです。

 

人権が軽視されて、国民に義務を課す憲法に

 自民党の改憲案の問題点を整理すると、次の4つに集約されます。

 (1)立憲主義から非立憲主義へ

 (2)平和主義から戦争をする国へ

 (3)天皇の元首化と国民主権の後退

 (4)権利拡大には後ろ向き、義務拡大には前のめり

 それぞれ拙著『憲法問題 なぜいま改憲なのか』(PHP新書)で詳しく解説していますが、改憲案全体に貫かれているのは、人権の保障度を下げ、たくさんの義務規定を盛り込むことで立憲主義と決別しようとする姿勢です。

 その姿勢は、基本的人権をうたった現憲法九十七条を削除したことからもうかがえます。

 現憲法九十七条には、こう書かれています。
   

 現憲法 九十七条
 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
   

 この条項は基本的人権の本質を示したものだといわれています。本当なら国民の権利と義務について規定した現憲法三章(十条~四十条)に入れるべき条項ですが、現憲法が人権を保障する憲法であることを強調するために、憲法が最高法規であることを規定した現憲法十章(九十七条~九十九条)の先頭に置かれています。

 この条項を削除したということは、基本的人権を軽視すると宣言していることに等しいと思います。

 一方で、改憲案にはさまざまな義務規定が盛り込まれました。いままでも国民には「納税」、「教育」、「勤労」の3大義務が課されていましたが、改憲案では一気に数が増えました。すべてあげてみましょう。
   

 国防義務(改憲案 前文三段)
 日の丸・君が代尊重義務(改憲案 三条)
 領土・資源保全義務(改憲案 九条の三)
 公益及び公の秩序服従義務(改憲案 十二条)
 個人情報不当取得等禁止義務(改憲案 十九条の二)
 家族助け合い義務(改憲案 二十四条1項)
 環境保全義務(改憲案 二十五条の二)
 地方自治負担分担義務(改憲案 九十二条2項)
 緊急事態指示服従義務(改憲案 九十九条3項)
 憲法尊重義務(改憲案 百二条1項)
   

 憲法に書かれているだけならば訓示規定のようなものだから、私たちの生活には直接影響がないと考える人がいるかもしれません。

 しかし、先ほど見たように、国民に憲法を守る義務を課す条項(改憲案百二条1項)を入れたことは無視できません。その条項を根拠に、ここにあげた義務規定を国民に守らせるための法律が次々とつくられていく可能性は高いと思います。法律になれば、違反した人に罰則が科せられるおそれもあります。憲法で国民に新たな義務を課すというのは、そういうことなのです。

憲法議論は、「ゆっくり急げ」でいい

 「どんなにすばらしい憲法も、その国の国民のレベル以上にはなり得ない」という言葉があります。まったくその通りです。日本国憲法は完璧ではないものの、世界でも類を見ない先進性に溢れたすばらしい憲法だと思います。ただ、私たち主権者がその憲法にふさわしい存在にならなければ、せっかくの現憲法も宝の持ち腐れになります。

 誤解のないようにいっておきますが、憲法を信奉して、教条主義的に実践せよということをいいたいのではありません。憲法は、私たち自身を幸せにするための道具です。ただ、道具をうまく使いこなすためには、利用者である私たちが知識を持ち、技術を磨かなければなりません。憲法でいえば、その役割や目的を理解すること。それがあってはじめて私たちはすばらしい憲法を活かすことができます。

 新しい家電製品を買うと、多くの人はその製品の機能をフルに使うために取扱説明書を読むと思います。憲法を使いこなすときも、それと同じです。本書には憲法についての取扱説明書になる側面があり、みなさんに憲法を自分やみんなの幸せにつなげてもらうことを目的に書かれています。

 ただし、国民が憲法を使いこなせるレベルまで理解するのには、相当な時間がかかることも知っておいたほうがいいでしょう。

 アメリカ合衆国憲法は、1787年に制定されました。しかし、制定から50~60年は裁判所も憲法の内容をよく理解しておらず、先住民であるチェロキー族を差別するような法律を平気で合憲と判断していたりしました。憲法の内容を理解した判決が出るようになったのは、南北戦争(1861~1865年)の後です。

 フランスやイギリスも似たようなものです。憲法がつくられてからもそのままでは定着せず、少しずつ改正を重ねたりしながら紆余曲折を経ていまの形になっていきました。憲法を使いこなせるようになるまで時間がかかるのは、どの国であってもあたりまえなのです。

 日本が近代の立憲主義憲法をつくったのは、1946年です。それからまだ70年弱しか経っていません。そういう意味ではいま日本は憲法を理解する途中の段階であり、焦らずにじっくりと憲法を学んでいけばいいでしょう。

 そうはいっても改憲が政治の争点になっているいま、じっくり考えている暇はないという人がいるかもしれません。しかし、焦りは禁物。よくわからないなら、わからないままでいいと思います。

 私はラテン語の「フェスティナ・レンテ(Festinalente)」というフレーズがとても気に入っています。直訳すると、ゆっくり急げ。なかなかぴったりくる訳がないのですが、日本のことわざでいうと「急がば回れ」に近いでしょうか。焦らず慌てずに一歩ずつ着実に進みなさい、それが一番の近道になりますよという意味です。

 憲法の理解も、フェスティナ・レンテでいいのです。わかったふりをしないで、1つ1つかみしめるように理解して、自分のものにしていく。現憲法や改憲案に対して最終的にどのような評価を下すにしても、国民1人ひとりがしっかりと憲法の本質を理解したうえでの判断ならば、そうはおかしな方向に行かないはずです。

 むしろ怖いのは、憲法の本質を理解しないまま、まわりの空気に流されるようにして慌てて判断してしまうことです。改憲議論が盛り上がっているいまだからこそ、私たちはいったん立ち止まって憲法とじっくり向き合う必要があります。

 

伊藤真(いとう・まこと)

弁護士、伊藤塾塾長

1958年生まれ。東京大学在学中に司法試験に合格。95年に「伊藤真の司法試験塾」(その後「伊藤塾」に改称)を開設、親身な講義と高い合格率で「カリスマ塾長」として人気を博す一方、「憲法の伝導師」として各種集会での講演活動を精力的にこなす。また、弁護士として、「一人一票」の実現のために奮闘中。主な著書に『憲法の力出集英社新書)、『伊藤真の憲法入門』(日本評論社)、『夢をかなえる勉強法』(サンマーク出版)など多数。

(以上、転載了)

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