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2016年5月13日 (金)

幸福の科学の大川隆法氏と北朝鮮の金正恩氏に共通するもの その1

幸福の科学の大川隆法氏は、幸福の科学では「エル・カンターレ」として「地球神」「至上神」「本体意識」などとされています。
 
また、大川隆法氏自身が「我は大川隆法にして、大川隆法ではない。エル・カンターレである」と東京ドームで行われた「御生誕祭」で発表しました。これを「エル・カンターレ宣言」と幸福の科学では言っている(ちなみに、当時、私は入場券をもらって、この「御生誕祭」に参加しました)。
 
しかし、この「エル・カンターレ宣言」以前から大川氏を神格化して、「釈迦大如来」と書いて大川氏の写真の入った「祭壇」に向けて礼拝していました。
 
でも、『太陽の法』(1984年)などを読むと、大川氏は自身の挫折などを語っています。
『太陽の法』1984年(244頁)には、
 
国家上級公務員試験も不合格。
東大に助手として残ろうとしたのですが、成績不良につき、その道もとざされてしまいました
とあります。
 
しかし、『新・太陽の法』1994年(341~344頁)になると、
 
『ハンナ・アーレントの価値世界について』という論文を作成しました。
            (中略)
教授からは、「マチュアー(成熟している)ですね。君は学者になれば大活躍できるだろう。この論文も、序文を書き添えて、内容を倍ぐらいに引き伸ばせば、法学部卒業後、助手が三年後に書く助手論文(博士論文程度)の合格レベルをすでに越えている」
            (中略)
当時二十一歳の私は、どうやら学問的天才性を見せはじめていたようです。
            (中略)
かくして私は、『法律学』や『政治学』の学問性と価値観の不在・貧困に直面し、東大法学部には、自分が師事すべき教師がいないことを悟りました。
と、このように全くすり替わっています。
公務員試験に落ちたことは、『新・太陽の法』(1994年)にはありません。
また、大学の助手に成績不振でなることができなかったというエピソードは、自分自身があまりに優秀で師事するに値する教授がいないことを悟った(自分から大学にのこる道を選ばなかった)ことになっています。
 
次に、総合商社トーメンに就職した経緯について、
 
『太陽の法』1984年(244頁)には、
 
そして、ある商社にやっとひろわれた感じで就職したのです。
            (中略)
涙が流れました。私は、この世的に成功しようとすると、つぎつぎと打ちくだかれていったのです。
と、このように語っていたのが、
 
『新・太陽の法』1994年(346~347頁)になると、
 
自分としては、予想もしていなかった道でしたが、ある総合商社の人事担当者から「『三顧の礼』をもって迎えるから是非とも当社に」と懇願され、東大の先輩で、スタンフォード大学でMBAをとった常務から、「ウチに来てくれませんか」と頭を下げられて、男の心意気で、入社を決めました。

しかし、友人たちからは悪評さくさくでした。ある友人は、「政治学科から日本銀行への推薦枠が一名あるので、教授は君を推薦するというのにどうして辞退したのか」と不満顔でしたし、ある政府系の大手銀行の人事担当者は、「東大在学中に司法試験の短答式試験に合格した人は、私学とは違い五割以上は最終合格しますね。しかも、あなたは政治学科ですから、おそらく、トップでしょう」とうれしいことを言って入社を勧めてくれました。
と、就職の経緯も全くすり替わってしまっています。
 
同一人物の履歴とは思えない別人格の履歴とさえ思えるほど違います。
 
(つづく)

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