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2016年5月24日 (火)

幸福の科学の大川隆法氏と北朝鮮の金正恩に共通するもの その3

(前回につづく)
前回までの2回は大川隆法氏の大学在学中に、司法試験や公務員試験に落ちたこと、その後、総合商社トーメンに入社した経緯を2冊の大川氏の著書で見比べてみました。
今回は、大川氏が東京大学に入学するとき、受験生であった頃を前回と同じく『太陽の法』(1987年)と『新・太陽の法』(1994年)とで、どのように記述が変わったかを見てみます。
まず、1987年に出した『太陽の法』の243~244頁に、
 
十代の自分をふりかえると、まったく亀のようであったと思います。
私は、兎のようにあかぬけた秀才にはなれなかったのです。
田舎育ちの少年は、十八歳の春、三十キロを越す本をバッグにつめ込んで、東京駅に降りたちました。
まだ凍えるほどの寒さだったというのに、顔を上気させ、汗を流しながら、どうやって渋谷駅に行ったらよいかがわからず、途方に暮れていたのです。
この春、東京大学文科一類を受験して、二次試験不合格となりました。
翌年は、蛍雪一年の功があって、なんとかすべり込みました。
とあります。
 
ところが、1994年に出した『新・太陽の法』では、
 
大学受験に関しては、昭和五十年の暮れには、大手予備校の東大入試模擬試験で、東大文I(法学部)なら、上位一割以内、文II(経済学部)文III(文学部)ならトップか、それに準ずる成績で合格するとの予測結果を得てホッとしました。
本番では、この模擬試験より、さらに三~四十点(四百四十点満点中)高得点だったようで、秘かに一ケタ合格を期待しました。
そして、昭和五十一年春、首尾よく東京大学文科一類に入学しました。
とあります。
ここで、2冊を比べると、『新・太陽の法』では東京大学に一浪して入学したことが消えています。
そして、『太陽の法』では「なんとかすべり込みました。」と書いていたのが、『新・太陽の法』では「本番では、この模擬試験より、さらに三~四十点(四百四十点満点中)高得点だったようで、秘かに一ケタ合格を期待しました。 そして、昭和五十一年春、首尾よく東京大学文科一類に入学しました」に変わっています。
 
この記述の変更を大川氏は前回の記事に取り上げましたが、米本和弘氏・島田裕巳氏共著『大川隆法の霊言』で、大川氏の著書などから大川氏の半生を年表形式にしました。
 
それに対抗して、大川氏は、「謙遜」して書いたのをジャーナリストや学者はわからないとして、あるのままに書くとしたのが、のちの著書の記述だというのです。
 
しかし、ありのままに書くのは結構ですし、謙遜を排除して書くのもよいとしても、「一浪」の事実を消して書くこととは違うと思います。
 
私は「一浪」したことが悪いとも、恥ずべきこととも思いませんし、宗教家にふさわしくないとか言っているのではありません。
一浪したのは大川氏だけのことではありませんし、浪人生活をしても優秀な人は優秀なのですから。
 
ただ、自らを飾ることための記述になってしまったと思います。
(つづく)

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