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2016年6月22日 (水)

幸福の科学での植福(献金、布施)を考える その2

(前回につづく)
このブログにコメントをくださった「あは」様より参考までにといくつかの資料を教えていただきました。ありがとうございました。
今回の記事で転載する資料は、ヤフー知恵袋にあった質問と回答。
私はこの回答は事実と離れたものとは考えません。
私がこれまでいろいろと見聞きしたことと重なります。なかには今まで私が見聞きしていないこともありますので、他の資料や証言とも重ねて、より確度を上げたいのですが、でも参考に値すると思います。
(以下、「ヤフー知恵袋」より転載)
 
幸福の科学の信者さんは、会員になると年間どれくらいの会費をはらわせられるのですか?私の身内の者が長年信者です。 私は幸福の科学はカルトだと思っていますが、信教は自由ですから批判はしません。ただ、お金がないみたいで、どれくらいのお金をつぎ込んでいるのか気になります。幸福の科学に対する批判はご遠慮下さい。

補足また本を売ったり、入信の勧誘のノルマなどはあるのでしょうか?

ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2010/4/2722:35:06

以下、親戚の信者から聞きました。

*お布施について*

①原則 月会費1000円(=植福の会といいます。お布施のことです。)が引き落としされます。
月1万円ならば、大黒天信者と呼ばれます。
②月に1回以上総裁先生のご法話拝聴(衛星配信だったり、DVDだったりで)がありますが、三、五千円~1万円。
ときなは、感謝奉納(=お気持ち)でよいです、というときがあります。
③毎年何冊か新刊が発刊、そのたびに会員は、最低自分の学習用に1冊購入します。
1冊1500円くらい(「○○の法」など)
①~③は、一般の会員さんの20%は、月1万くらいでしょうか。
そのほかに、
④主への感謝の表れ、信仰心の表れとして「○○植福」(XXX正心館建立植福とか学園祈念植福)一口1万~の機会があります。1000万以上は、「植福菩薩」、土地・建物を寄付した場合「寄進菩薩」という称号がある。
⑤新刊書をより多くの人によんでもらうため、プレゼント用に大量に本を購入します。
冊数にノルマは、ありませんが、支部には、目標がありますから、達成するために当然振り分けられます。
100冊以上購入者は、「経典菩薩」といいます。
役職者であるリーダークラスならば、ここまでで、
月3~5万、他に活動に使う携帯代、ガソリン代など目に見えないお金が使われます。

⑥ペンダントをはじめとするグッズがいろいろあります。
信仰心が固まったら「ご本尊」をお勧めされます。10万の携帯版から、100万の仏壇タイプ。
お墓は、150万~3000万。その他会内限定頒布書籍(たとえば霊言集1冊2万円、ご法話DVD1本2万円、CD5千円など)

⑦ほかに精舎研修(5千円~100万)や祈願(支部なら5千円~精舎なら1万円~)などがあります。
何年も信者をしていると累計数百万になるはず。

*勧誘について*

ノルマは、ありませんが、ご法話拝聴会などの参加目標がありますので、伝道・お誘いの得意な人は、
頑張ってもらいます。

仏との縁付けの機会が最高の与える愛ということで、お誘いします。
うまく会員を増やせたら(=伝道したら)何名かで「伝道菩薩」です。

映画のお誘いなど一般の人は、なかなかきてくれないので
年金暮らしのお年寄りの会員さんがほかにお布施できないからと、
交通費まで出してあげてきてもらう話をきいたことがあります。

******
恥ずかしながら初期からの信者である身内は、新聞代にもことかくほど困窮しています。
元職員と現職員の夫婦です。

家には、ダンボール箱に入ったままの本が山済み。
安い僧給でほとんど休みなく聖業をしています。
はやく目覚めて仕事を変えてほしいと親族一同願っています。

信心深く、お金をつぎ込んでいても、熱心に活動していても
会社が大発展したり、人間関係が良くなったりする人はほとんどいません。

あなたのお身内も1日も早くカルトと気づいてほしいですね。

(以上、転載了)

幸福の科学では信者の出費はかなり多額だと思われます。

多額の献金(幸福の科学では「植福」と言っています)をすると「菩薩」だの「大黒天」だのと称されるなど、それこそ「地獄の沙汰も金次第」ではありませんか。

要は、多額の献金をする信者が優遇される仕組みです(このシリーズの前回の記事で書いたように、仏教で説く「応分の施」と違うことがわかります)。

国内でも経済格差の深刻さが問題になっていますが、信者の間にも「経済格差」が広がり、まだ献金を続けられる信者と、あまり献金できない、あるいは献金できるお金が残っていない信者と、その格差の度合いは強くなるでしょう。

そして信者の間に「カースト」が生まれてくるのかもしれません。

自分はこれだけ多額の献金をして「菩薩」と呼ばれる。献金額がそのまま各人の信仰の評価にさえなる構造があります。それが他の信者への蔑視や優越感にもなるおそれはないでしょうか。逆に献金額が少ない信者は劣等感や罪悪感などに陥るのでは。

これでは布施にある精神など蔑ろにされるのは当然で、要は献金額しか評価の対象がありません。

(つづく)

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