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2016年8月14日 (日)

幸福実現党本部への家宅捜査を受けての幸福の科学側の主張をみる その1

幸福実現党への家宅捜索 宗教の聖域に世俗権力がみだりに立ち入ってはならない

しかし、凶悪犯罪などの捜査ならともかく、数十万円の金銭の受け渡しに関係したという公職選挙法違反の疑い。「同法違反での政党本部の捜索は異例」(3日付産経新聞)である。

この出来事で見落としてはいけないのは、人々の魂の救済を行う宗教の聖域に、世俗の権力が土足で入り込んだ極めて重大な問題を含んでいるという点だ。

幸福実現党本部は、れっきとした「宗教施設」

発端は、7月の参院選において、同党の候補者の応援演説をした男性タレントに対し、会社役員らが現金を渡し、公職選挙法(以下、公選法)違反の疑いで逮捕されたこと。この出来事と関係があると見て、8月2日、捜査員が、党本部に家宅捜索に入った。

 しかし、同党は、「祭政一致」を掲げる宗教政党である。「政治団体」だが、精神的なものに重い価値を置き、党本部には、日常的に信者が集まって修行や瞑想を行い、祈りを捧げている。神仏から霊的な導きを受ける「霊界との交流の場」だ。

 俗世間の波動が入らないようにする神社やお寺の境内と同じように、異次元に通じる一つの結界であり、この世の人々の穢れを落とす場でもある。神域や霊域と呼ばれるもの、つまり、幸福実現党本部は、信仰空間であり、神仏や天使や菩薩が存在する天上界と交流する、れっきとした「宗教施設」なのだ。

 また、党幹部や職員の多くが聖職者であり、神仏の御心を探究しながら、人々を幸福にする政治を行おうと、日夜活動している。そうした場所に、一般の企業や家庭などと何の区別もなく、みだりに警察権などの俗界の権力が入り込んで、霊的な結界を破り、宗教の聖域を侵すことは許されない。

 長い歴史の中で、人類は宗教を守ってきた

そもそも、なぜ宗教は尊いのか。

それは宗教の活動目的が「人々の幸福の具体化」であるからだ。それは、地上に生きている間の物質的な豊かさにとどまらない。「人間の魂を救済し、死後、安らぎの世界へと導く」「亡くなった人々の魂が死後、地獄で苦しまないよう、正しい生き方を説く」という、「この世とあの世を貫く幸福」を目指した、最高度に公益性の高い仕事だ。

 そのため、伝統的に、仏教では「仏法は王法を超える」と言われ、世俗の権力の介入や許されていなかった。仏教僧は、実社会よりも日々厳しい戒律の下で修行し、高い精神性を持っているために尊敬され、国王の警察権力も及ばなかったのだ。

キリスト教でも、ローマにあるバチカン市国やギリシャにあるアトス自治修道士共和国などでは、宗教が独立国家のかたちで聖域をつくり、自前の警察権を持ち、資産に課税されることもなく、他の国家からの影響力を排除している。

憲法でも刑法でも、宗教の神聖さを守っている

「宗教は聖なるもの」「俗界の権力が土足で入り込んではいけない」――。そうした人類普遍の共通認識が、時代を下るにつれて、憲法やその他の法律として、固まってきた。

 例えば、憲法20条「信教の自由」では、世俗権力から宗教の神聖さを守る理念が体現されている。刑法188条「礼拝所不敬及び説教等妨害」でも、礼拝所に公然と不敬な行為をした者や、説法や礼拝を妨害した者は、処罰されると定めている。

国家権力が宗教を尊敬し、それを法制度として表すのは、世界の常識である。世俗の権力が宗教の聖域に入り込まないようにすることは、長い歴史の中で守られてきた人類の叡智なのだ。

近年では、2012年に神奈川県警の警察官が、カトリック教会の施設に立ち入り、外国籍の信徒を逮捕するという出来事が起きた。このとき、カトリック横浜教区は、信教の自由・宗教活動の侵害であると強く抗議。結果的に、同県警が横浜教区に謝罪することになり、警察庁は、全国に「信教の自由の尊重」を通達した。

公選法の適用は警察のさじ加減 お茶はセーフで、ジュースはアウト

今回の事案は、公選法に違反した疑いがかけられているが、そもそも公選法は、非常に分かりづらい規定のオンパレードだ。

 たとえば、139条では「何人も、選挙運動に関し、いかなる名義をもつてするを問わず、飲食物(湯茶及びこれに伴い通常用いられる程度の菓子を除く。)を提供することができない」とある。この「湯茶及びこれに伴い通常用いられる程度の菓子」は何を指すのかは明らかではない。

 現在のところ、来客にお茶を出すのはセーフだが、ジュースやコーヒーはアウト。お茶も湯呑みで出せばセーフだが、缶で出せばアウトというような解釈が一般的だが、高級茶はどうなのかと言われれば答えに困りそうだ。一見してセーフかアウトか分かりにくく、グレーゾーンの範囲が大きい。

 つまり、それを決めるのは警察ということだ。そうなれば、一般的な市民感情に照らして罰するほどでもない軽微な事案であっても、警察のさじ加減でいかようにも適用できてしまう。

本来の宗教は、人類の幸福を願い、個人の魂の救済を行い、公的なレベルでも正しい価値判断を示し、社会や国家を導いていく。人類が守り続けてきた宗教の聖なる部分に、俗界の権力が入り込むことは、極めて慎重であるべきだ。これ以上の神仏への冒瀆を、許してはならない。

(以上、幸福の科学系月刊誌『ザ・リバティ』公式HPより転載 了)

幸福実現党本部が公職選挙法違反(買収)の容疑をきっかけに家宅捜査を受けた件で、幸福の科学出版の『ザ・リバティ』は検証記事風に、警察などに不服を表明。

さて、やはり先に目についたのは、

俗世間の波動が入らないようにする神社やお寺の境内と同じように、異次元に通じる一つの結界であり、この世の人々の穢れを落とす場でもある。神域や霊域と呼ばれるもの、つまり、幸福実現党本部は、信仰空間であり、神仏や天使や菩薩が存在する天上界と交流する、れっきとした「宗教施設」なのだ。

 また、党幹部や職員の多くが聖職者であり、神仏の御心を探究しながら、人々を幸福にする政治を行おうと、日夜活動している。そうした場所に、一般の企業や家庭などと何の区別もなく、みだりに警察権などの俗界の権力が入り込んで、霊的な結界を破り、宗教の聖域を侵すことは許されない。

ということで、

幸福実現党本部は、れっきとした「宗教施設」

だから、

幸福実現党への家宅捜索 宗教の聖域に世俗権力がみだりに立ち入ってはならない

というのだ。

それならば、極論に聞こえるだろうが、もし幸福の科学の施設で窃盗や器物損壊などの事件が起きても、警察官を呼ばずに(頼らずに)、自分たち宗教家(聖職)を名乗る職員で解決するのかということだ。

つまりは、自分たちに都合のよいときには警察官を幸福の科学の施設に呼び、都合の悪いことであれば「宗教の聖域に世俗権力がみだりに立ち入ってはならない」と拒めるのかということである。

ところで、幸福実現党の施設まで宗教施設と位置付けるのであれば、公明党の本部や各支部の施設なども宗教施設になるのか。まあ、公明党も創価学会も「公明党は公党だから」とそれは否定するだろうが。

幸福の科学学園も学校法人でありながら、宗教施設であるのか。

そうしたら、例えば学校法人の天理大学や天理高校は宗教法人・天理教の施設なのか、同じく学校法人の創価大学や創価高校は宗教法人・創価学会の施設なのか。

戦後間もない頃にあった「皇道治教」のように、信者の経営するホテルもクリーニング店も食堂も、宗教施設として、信者に便宜を供与するためとして、非課税扱いを狙ったこともある。

幸福の科学の理屈は現代版の「皇道治教」だ。

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