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2016年8月29日 (月)

持ち家でも貧困に喘ぐ45歳契約社員の悲哀 非正規は「しょせんその程度の人間」呼ばわり

持ち家でも貧困に喘ぐ45歳契約社員の悲哀 非正規は「しょせんその程度の人間」呼ばわり

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしていく。

 お盆の頃、関西地方にある昔ながらの住宅街を歩いた。曲がりくねった路地を進むと、どこからともなく線香の香りがただよってくる。手入れが行き届いた庭に、夏祭りを告知する掲示板のチラシ。小さな実を揺らしながら、日よけ代わりに窓辺を覆っているのはフウセンカズラだろうか。そんな風情ある街並みの中、伸び放題の濃緑の木々に埋もれるようにして建つ、1軒の老朽化した家は明らかに異様に見えた。

 庭木は隣家まではみ出さんばかりの勢いで生い茂っているその家に近づいてみると、耳元で蚊の羽音が聞こえ、目の前をハチが通り過ぎていく。住宅街に住みながら庭木の手入れを怠ると、治安や衛生面などで、ご近所とトラブルになりやすいとも聞く。この家で独り暮らしをするヒデユキさん(45歳、仮名)が肩身の狭そうな様子でこう打ち明ける。

 「業者を入れるなりして伐採しなくてはいけないと、わかってはいるんです。でも、経済的な余裕がありません」

 亡くなった両親が残してくれた自宅は築50年を超える。外壁にはひびが入り、風呂場のタイルもところどころ剥がれているが、修繕もままならない。

葬式を欠席し、喪服のクリーニング代を節約

 それでも、家賃がかからない持ち家に住めるのは恵まれていると言われそうだが、そうとばかりは言えない事情もある。自宅のかいわいは、ヒデユキさんを含めて何代も前からこの街で暮らしている顔見知りがほとんどで、冠婚葬祭となれば、それなりの礼を尽くさなければならない。

 ヒデユキさんはここ何年も、近所で知人が亡くなると、早々に自宅を訪ね「お葬式の日は用事があって出席できません」と伝え、香典だけを置いてくるという。そうやって喪服をクリーニングする費用を節約しているのだ。「情けないし、恥ずかしい話です。でも、本当は香典を出すのもきついんです」。

 ヒデユキさんは医療用医薬品卸売会社の契約社員である。この1年間は、会社側が人件費を抑えるために残業をなくしたせいで、毎月の手取り額は15万円を切るようになってしまった。

 担当しているのは商品管理で、主には、製薬会社側から届いた医薬品を倉庫にしまったり、医療機関や薬局などから注文があった医薬品を倉庫から出したりする、出入庫作業を担っている。単純労働に見えるが、実際には、医薬品ごとに商品名やコード番号、有効期限、出庫数、在庫数などさまざまなデータを「とにかく早く、正確に」照会しなくてはならない、神経のすり減る仕事だという。

 また、ヒデユキさんが勤める会社は「お得意さま第一主義」という大義名分の下、顧客からの注文に迅速に応えることを売りにしており、一部の同業他社が1日の配達時刻や回数をあらかじめ決めているのに対し、注文を受けるたびに配達に出向くというシステムを取っている。この結果、彼のような契約社員らが1日に何度も出庫作業に駆り出されることになり、試しに万歩計で計ってみた1日の歩数は2万歩に達するほどだった。ヒデユキさんはお客さま第一主義の本質をこう分析してみせる。

 「顧客にとっては注文した商品がすぐ届くというのは、他社にはない“価値”だと思います。でも、それは、私たち非正規労働者が、窓もない狭くて暗い商品倉庫をコマネズミのように駆けずり回ることで生み出される“価値”です」

正社員から見下されていると感じる

 ヒデユキさんがもうひとつ、腹立たしく思うのは、事あるごとに営業職の正社員から見下されていると感じることだ。

 あるとき、自身と同じく非正規で働く同僚の勤務態度の悪さが目に余ったため、ヒデユキさんが正社員にそれとなく進言したら、こう返されたという。

 「しょせん、契約だからな。(採用されるのは)その程度の人間なんだよ」。この正社員にヒデユキさんへの悪意はなかったと思う。が、思わずこぼれた言葉だっただけに彼の本音が透けて見えた気がした。また、多くの正社員は倉庫の片付けは契約社員の仕事だと言わんばかりで、どんなに契約社員たちが出庫作業に追いまくられていても、医薬品を入れる専門容器ひとつ、元の位置に戻してはくれないという。

 取材の中でヒデユキさんが最も多くの時間を割いたのが、こうした正社員への批判だった。

 「一定の時刻になると、自分の席に着いて顧客からの注文電話を待っているだけ」

 「大学を出てやっているのがこんな仕事とは情けない」

 「返品になった向精神薬を何日も放置していた社員がいた」

 「いちばん大きな顔をして、仕事の足を引っ張っているのは何もしていない正社員」

 私にはもっともだと思えることもあれば、それは正社員たちの言い分も聞いてみないとわからないと思うものもあった。いたずらに「非正規vs.正規」という構図をあおりたくはないのだと伝えたが、ヒデユキさんの非難の勢いは加速する一方で、私には、彼の心の中で、正社員への憎悪にも近い気持ちがおりのようにたまっていっていることだけがわかった。

 4年制大学を卒業後、運送会社に就職した。しかし、長引く不況の中、リストラのターゲットにされ、「業務上必要最低限の会話以外は禁止」と命じられるなどのパワハラを受けた揚げ句、退職に追い込まれたという。その後は人材派遣会社に移ったが、折悪しくリーマンショックに遭遇、早期退職の募集に応じた。正社員だったのはここまで。40歳を目前にした職探しは難航、契約社員の仕事を見つけるのが精いっぱいだった。

 現在の仕事に就いて6年。最近は「健康格差」という言葉が身にしみるようになった。

 毎日、狭い倉庫をひっきりなしに小走りしているため、つま先に不自然に体重がかかり、ひざや足首が痛むようになったという。ヒデユキさんが仕事中に履いているスニーカーの裏側を見せてもらうと、確かにかかとではなく、つま先のあたりがすり減っている。病院で診察を受けたところ、ひざの半月板が傷んでいると言われ、定期的にヒアルロン酸を注入するよう勧められたが、費用を考えると二の足を踏んでしまう。

 だましだまし働き続けた結果、今では、しゃがむことができず、倉庫棚の最下段にある医薬品は、お年寄りのようにいったん上段の棚に手をついて体重を支え、床に膝をついてからでないと、取り出すことができなくなってしまった。そんなヒデユキさんの背中にも正社員からの「早く! 早く!」という怒声は容赦なく投げつけられるという。

野菜は高いし、「朝納豆」は無理

 社内の健康診断では、中性脂肪や血糖値の数値が標準値を超えつつある。産業医からは「野菜を食べてください。それから、朝に納豆を食べると身体にいいですよ」とアドバイスされたが、ヒデユキさんは「野菜を食べろって簡単にいいますが、野菜は高いんですよ。それに、家の冷蔵庫はずいぶん前に壊れてしまい、買い替えるおカネもないので、“朝納豆”は無理です」とため息をつく。

 今、ヒデユキさんが切望しているのは正社員になることである。

 昨年、社内の手続きにのっとって正社員への転換を希望したが、人事評価が基準に達していないと言われ、代わりにいくつか業務上の課題を与えられた。正社員になるために、ヒデユキさんは1日も早く課題に取り組みたいのだが、研修担当者は正規採用された新入社員の教育に追われ、自分には一向にその機会が与えられないという。「非正規労働者は能力を向上する機会を奪われている」。ここでもまた、彼の怒りは正社員や、会社へと向かう。

 1年ほど前、通帳の残高が1万円を切ったことがあり、「この会社にいては生きていけない」と愕然としたことがきっかけで、今は就職活動もしているのだが、こちらも思いどおりにはいっていない。 

 取材を通し、ヒデユキさんと交わしたメールを見るかぎり、文章力は高いし、見せてもらった手帳には欠かすことなく日々の備忘録がつづられている。もちろん、待ち合わせの時間に遅れてくることもなかった。まじめで、几帳面で、きっと普段の出入庫作業でも、商品を取り違えることはほとんどないのだろう。とにかく、彼には社会人として減点するポイントが特に見当たらないのだ。

 普通に、あるいは普通以上に能力もやる気も、実績もある人間がどんなに望んでも、「非正規スパイラル」から抜け出すことができず、正社員には戻れない――。「働き方が選べるようになる」。1990年代に入り、そう言って、雇用の流動化を進め、非正規雇用を増やし続けた国や経済界が思い描いたのは、本当にこんな未来だったのか。

非正規労働者にとって地域の絆は「しがらみ」

 再び、ヒデユキさんの自宅。

 建物の外壁のほとんどはツタに覆われ、玄関先まで延びる道に敷かれた石畳は雑草や枯葉で埋もれていた。それでも、観賞用の石臼などが置かれているのを見ると、新築の頃はきっと趣のある日本家屋だったのだろう。

 周辺にはヒデユキさんと同じ姓の表札がかかった家が何軒かあった。親戚にあたる人たちだという。幼なじみも大勢いる。彼は「自分が契約社員であることは誰にも言えない」と言う。生まれ育った地域の絆は、非正規労働者にとってはしがらみでしかない。

 ヒデユキさんは毎朝、契約社員であることに引け目を感じながら出勤し、毎晩、痛めた膝を引きずり、正社員への憤りを抱えながら帰宅するのだろう。茂りすぎた庭木のせいで日中でも薄暗いこの家は、日が沈んだら、どれほどの深い闇に覆われるのか。

 降りしきる蝉時雨の中、ヒデユキさんの孤独と、閉塞を思った。

(以上、2016年8月29日付東洋経済オンラインより転載 了)

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貧困に自己責任などない。社会の欠陥だ。

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