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2016年8月25日 (木)

生活保護受給者叩きはやめよう その2

(前回につづく)
話を戻せば、生活保護受給者をたたいている人自体が自らの雇用が不安定化し、給与水準も下がっているのではないですか。
ということは、生活保護受給者を非難している状況にはないということです。その生活保護受給者への非難が自らが含む「99%」の層の分断化になり、ますます自らの生活にも悪影響を及ぼしているのです。
生活保護制度は憲法25条(生存権)で定める、国民からしたら国家に対する当然の権利であり、国家からしたら国民に対する当然の義務なのです。
決して「恩賜」や「お情け」「憐れみ」といった性質のものではありません。
この自らも状況の変化によっては将来受給する可能性がある当然の権利であるのに、現在受給している人を非難して、結果的にはその自らも享受する可能性のある当然の権利を自ら放棄する。それは愚の骨頂ではないですか。
ところが自民党の憲法草案では「家族は互いに助け合わなくてはならない」と家族の相互扶助を国民の義務にしています。
これは道徳や倫理の範疇であって、憲法で定める性質のものではありません。
家族の問題であるはずのものに、国家が介入するのです。
それも国家が国民(家族)を保護するという意味で介入するのではありません。
家族のことは国家(行政)に頼らずに家族のなかで解決せよ、と迫るという国家が国民の保護を放棄して、国家にある国民への責務を国民に押し付けるという意味での介入です。
しかし、現実は、高齢化、少子化、過疎化、核家族化、都市への若年層の移動、非婚化などからして、家族間で解決できない問題がむしろ増えているのではないですか。
その一つが「老老介護」です。子どもがいない、あるいは子どもに頼れない老夫婦の間で介護をすることになっているのです。
そのような家族のなかで家族の力だけで家族の問題を解決するのは無理としか言いようがありません。
それなのに、自民党の憲法草案は、こうした現実を無視して、あたかも国民に共有した道徳・倫理観であるかのようにして、公的な補助を捨てようとしているのです。
次に、問題視しなくてはならないことは、いわゆる「自己責任」論です。
たとえば、外国でテロ集団に日本国民が誘拐されると、一部に「自己責任」と言って、「自分のことは自分で解決すべき」「国家に助けを求めるのは筋違い」といった論調です。
しかし、考えてみれば、このような論調で利を得るのは為政者・政府です。
なぜならば、国民を保護するという国家の責務を自然に放棄できるからです。
これこそ為政者・政府にとっても都合の良い言葉であり、「自己責任」論の高まりは国家の責務の放棄を促す、国民からすれば国家から保護を受ける当然の権利を国民自ら放棄することになるのです。
話を戻せば、生活保護制度も国家による国民保護の責務の一つなのです。
それなのに生活保護制度によって生活の再建・維持をしている人たちに向けて「自己責任」という言葉を濫用することで、国民が国家に対して国民の保護義務の放棄をさせる結果を招くのです。これは国民にとって自ら危険を招く「愚」であるとしか言いようがありません。

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