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2017年5月10日 (水)

憲法70年 安倍政権の改憲論議

憲法70年 安倍政権の改憲論議=倉重篤郎(編集編成局)

 

憲法施行70周年の記念式であいさつする安倍晋三首相。登壇者は(左から)寺田逸郎・最高裁長官、大島理森・衆院議長、伊達忠一・参院議長=東京都千代田区の憲政記念館で4月26日、中村藍撮影

    「木を見て森を見ず」の愚

     日本国憲法といえば、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が三大原則だ。数十年前に私たちが義務教育で何度も教え込まれたことだし、いまだに教科書にはそう書いてある。国会論議でも、思想信条に関わりなく三大原則を否定する者はいない。「この三つの普遍的価値を心に刻み、新しい時代の……」。安倍晋三首相も4月26日の憲法施行70周年記念式でこう強調した。改憲論者の常とう句である。

         だが待てよ、である。安倍政権の約4年半を振り返ると、この三大原則が心に刻まれているとはとても思えない。

        闊達な論争消滅、国民主権空洞化

         まずは国民主権である。

         憲法前文で「ここに主権が国民に存することを」高らかに宣言しているが、その精神が尊重されているや否や。

         どうしても特定秘密保護法と、組織犯罪処罰法への「共謀罪」の新設がちらつく。前者は、安全保障上の理由から国家公務員の機密管理を厳罰強化(2014年12月施行)したものだが、記者としてはあれ以来お役人の取材がしにくくなったことを正直に打ち明けたい。15年末で443件が特定秘密に指定された。4割は文書ではなく役人の記憶や知識などだというが、これによって国民が知るべき情報を届けられぬことを恐れる。

         後者は、テロ摘発を理由にした治安立法だ。実行行為がない段階でその準備行為をも捜査対象とする。政権はこの国会で強行成立させる腹だが市民活動萎縮の懸念が残る。

         いずれも、憲法前文の宣言に背く。多様で正確な情報入手と、それに基づいた自由な言論、社会、政治活動こそ、国民の主権行使の内実を構成するものであるからだ。

         前文はまた主権の行使を「国民の代表者」、つまり代議制によりなすべし、としているが、こちらも安倍政権下の与党内ではお寒い状況だ。代議制とは多様な意見を議員が代弁し幅広い世論を国政に反映させる制度だが、その命ともいえる自由闊達(かったつ)な論争が永田町から姿を消した。安倍氏の人事権、公認権による報復を恐れ「物言えば唇寒し」的言論自粛中である。時として執行部批判が吹き荒れ、自由で民主的な政党としての健全性の証しにもなっていた自民党総務会も今や見る影もない。

         上記いずれも国民主権の空洞化を物語る証左である。

        将来世代に残す二つの負の遺産

         基本的人権も気になる。

         現役世代だけでなく「永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」(第11条)とされ、法の下の平等として「経済的に差別されない」(第14条)と規定している。

         この観点からすると、アベノミクスは、未来の人々に対しとんでもない経済差別を押し付け、彼らの基本的人権を毀損(きそん)しようとしている。というのも、アベノミクスとは異次元金融緩和による経済行為前倒しと、財政出動強化による将来世代へのつけ回しで、現役世代への成長利得を最優先させる政策であるからだ。

         実際に株高、円安効果で現役世代の一部は利を得た。だが、将来世代には二つの負の遺産が残された。一つは行き過ぎた金融緩和、財政出動の代償としての身の丈を超えた借金である。その残高は国内総生産(GDP)比250%(16年度)で、独68%、米国108%と比べ突出している。問題は、借金のかたである国債を日銀が爆買いし、財政破綻隠しに手を貸していることだ。その額は420兆円、GDPの8割で、10割に迫る。先進各国中央銀行の2~3割と比べどうみても持続不能である。出口として予測される国債暴落、超インフレもまた将来世代へのつけ回しだ。

         もう一つは、アベノミクスのエンジンをふかすことを理由に、税と社会保障の一体改革に関する与野党合意を破棄、消費増税を2度も先送りしたことである。ポピュリズムが横行する中、民主党政権が党分裂という代償を払って作り上げた現役世代に負担を求める画期的な政策合意だった。増税をめぐる死屍(しし)累々の政治史を見てきた者としては、将来世代の人権に配意した憲法精神に背く罪深い所業と断罪したい。

         平和主義については武器輸出三原則の緩和(14年4月)、新安保法制の制定(16年3月施行)、沖縄・辺野古新基地の建設(4月25日埋め立て開始)という現政権の一連の仕事の中に非戦を核とする憲法精神との背理を見て取れる。

         特に安保法制における集団的自衛権行使容認は憲法解釈上なお法的安定性に欠け、米艦防護や対米兵たん支援を拡大した措置(重要影響事態法)は、自衛隊を戦闘に巻き込む可能性を高めている。今回の北朝鮮危機が格好の例だ。戦争放棄をうたった9条の規範力は、抑止力という名の戦争力強化を重視する安倍式積極的平和主義とは相いれない。

         繰り返すまでもないが、三原則は、憲法の核心部分である。最重要なルールの違反常習者に他のルール改定を議論する資格はあるのだろうか。

         憲法を森に例えてみよう。三原則はその基本を構成しそれを養成する土と水と空気のようなものである。それなくしては森は生き残れない。最近その土壌の質が落ち、雨水が枯れ、大気が汚染されてきた。その時にどうすべきか。「緊急事態」「地方分権」という個々の木々をどう手直しするか、もいいが、森全体の命に関わる議論が足りない。

    (以上、毎日新聞より転載 了)

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