生き方

2017年3月17日 (金)

ツイッターで「ランチなう」と投稿する人は嫌われる 「そんなとこまで気を回せねーよ」「好きなこと呟かせろ」と反論続々

ツイッターで「ランチなう」と投稿する人は嫌われる 「そんなとこまで気を回せねーよ」「好きなこと呟かせろ」と反論続々

                      
ツイッターで「ランチなう」と投稿する人は嫌われる 「そんなとこまで気を回せねーよ」「好きなこと呟かせろ」と反論続々

ツイッターで「ランチなう」と投稿する人は嫌われる 「そんなとこまで気を回せねーよ」「好きなこと呟かせろ」と反論続々の画像

ツイッターでは思ったことを気軽に投稿できて便利だが、内容によっては見た人を不快にさせてしまうことがある。高級ブランド品などをさりげなく写して投稿する「間接自慢」などは最たる例だろう。

そんな中、3月15日のバラエティ「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ)では、「好かれる人 嫌われる人」を特集が放送された。その内容を同日、とあるツイッターユーザーが番組のキャプチャー画像とともに投稿し、ネットで話題となっている。

「仕事のネガティブ・自慢投稿」と「忙しさアピール投稿」もダメ

番組は米国のカーネギー大学など3校の調査結果を紹介。1443人のツイッターユーザーに対して4万3000件のツイートをランダムに見せたところ、ツイートの25%を「どうでもいい」と感じていることがわかった。特に「ランチなう」といったようなツイートはまさにどうでもいいことにに当たるというのだ。

ではなぜ「ランチなう」ツイートは嫌われるのか。心理学者の植木理恵氏はその理由について、

・客観的評価のズレ(自分はランチを食べていることを発信していい人間なのだという勘違い)
・他者時間に対する無配慮(「なう」は発信者のタイミングにすぎない)
・汎用性配慮の無さ(みんなに役立つ情報がない)

の3つを挙げて説明した。ツイートの中で、どの店の何のメニューが美味しいなどの情報があればいいが、「私の食べてるランチが美味しい」と発信するだけでは「誰の役にも立っていない」と植草氏は語気を強める。これにはMCの明石家さんまさんが「そうとるのか、受け手は!」と驚いていた。

ほかの嫌われる投稿として、マーケティング研究家の牛窪恵氏は「仕事のネガティブ・自慢投稿」と「忙しさアピール投稿」を挙げた。プライベートのリア充投稿が最も嫌われると思いきや、意外にも受け手は寛容なようだ。

「何でもない報告を楽しむのがツイッターじゃねえのかね」

嫌われるツイート内容についてネットでは、「情報云々とかではなくてやはり単に人のネガティブな言葉って他人もネガティブにさせてしまう力もあるから」と共感する人がいた。確かに、愚痴や悪口が多い人の側にいると聞いている方も気が滅入るものだ。

だが圧倒的に多いのが、「全部気にしてたら何もツイート出来なくなりますね笑」など、いちいち内容を気にしてツイッターができるか!、という意見だ。

「嫌われるツイートとか関係ねーわ。好きなこと呟かせろ」
「そんなとこまで気なんて回せねーよ」
「一般人のツイートに注文付けてんだか。何らかの縁で繋がった方々の何でもない報告を楽しむのがツイッターじゃねえのかね」

中には、「現実での発言(職場内とか)に気をつけてるんでついったくらい気にせず呟きたい」という投稿もあったが、普段は学校や職場での人間関係で発言を気をつけているのだから、せめてツイッターくらい自由に書かせてほしいという気持ちはわかる。

気軽に楽しめるのがツイッターの魅力のひとつだ。投稿の内容や読んだ人の反応まで考えていては窮屈ではある。とはいえ、わざわざ人から嫌われることはない。不快にさせないための参考として心に留めておくのもいいのではないか。

 

2017年3月 7日 (火)

「ひきこもり」過半数が40歳以上、親子共倒れ危機の衝撃

「ひきこもり」過半数が40歳以上、親子共倒れ危機の衝撃

ダイヤモンド・オンライン 3/7(火) 6:00配信    

 岩手県洋野町が「社会的ひきこもり」状態にある人の過半数を40歳以上が占めるといった、訪問調査の結果を、3月11日に学会で発表する。「ひきこもり期間」は長期化し、ひきこもる人たちの高齢化が進んでいる。彼らの親も年老いていく中、全国で何十万もの世帯が“親子共倒れ”の危機に直面している。(ジャーナリスト・池上正樹)

 「社会的ひきこもり」者は40歳以上が過半数を占める──。岩手県洋野町の調査から判明したデータとその分析結果が3月11日、岩手公衆衛生学会で報告される。

 ひきこもり実態調査は内閣府も昨年9月に公表したが、こちらは調査対象が39歳まで。ひきこもり現象が社会問題化する中、中高年層で状況が一層深刻化していることを、国でなく、小さな町が明らかにしたのだ。

 三陸海岸と山に面した洋野町は人口約1万7000人。地方にある他の市町村と同様に高齢化が進み、65歳以上人口の割合(高齢化率)が35%に上る。

 同町の地域包括支援センターは15歳から64歳の町民を対象に、ひきこもり調査を実施した。

 きっかけは、保健師が介護保険サービスの情報を提供するために70代の高齢者宅を訪ねたところ、すでに要介護の認定を受けているにもかかわらず、介護サービスの利用を辞退したことにある。

 玄関先に立つその高齢者は汚れた服を着ていて、生活に支障が出ている様子。それでも「必要ない」「大丈夫」と言うばかりで、なかなか玄関から先に入れてくれなかった。

 それでも何度も訪ねて事情を聞き出してみると、実は働いていない40代の子どもが同居し、10年以上ひきこもっていることが分かった。その子どもに将来の生活費を残すために、お金を使いたくなかったのだ。

 「周囲に迷惑を掛けられないから」「家の恥だから」と、困っていても声を上げることができず、家族ごと孤立していく──。同町はそうした現実を目の当たりにして、同じような家庭が多いのではないかと、大きな危機感を抱いた。

 調査を実施するに当たって、同町は「ひきこもり該当者」を「社会参加(就労、家庭外での交遊)を回避し、原則的には6カ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態の者(他者と関わらない形での外出をしている場合も含む)」と定義した。

民生委員から寄せられた「気になる人」の情報も加味した上で、町の地域包括支援センターの担当者は1軒1軒訪問して聞き取りを行い、該当者71人を把握。このうち6割強が40歳以上だった。

 詳細な調査によって、該当者のうち、精神疾患や身体疾患により社会参加できないケースなどを除いた「社会的ひきこもり」状態にある人の人数も捉えた。

 戸別訪問の結果、2017年1月時点で71人のうち「社会的ひきこもり」状態にある人が45人(男性37人、女性8人)。統合失調症、そううつ、アルコール依存症などの精神疾患を持つケースが10人、身体的疾患を持つケースが7人、その他のケースが9人だった。

 「社会的ひきこもり」状態にある人の過半数は40歳以上(図参照)。ひきこもり状態になった年齢は30歳以上が多く、ひきこもり状態の期間は10年以上が約5割(同)。最も多かった理由は「職場になじめなかった」というものだ。

 都会の職場の人間関係などが要因で、実家に戻ってきてそのまま外に出られなくなってしまうというケースが目立った。

 同町は事業報告書で「本人に問題があったのか、それとも職場や学校に問題があったのか、一歩踏み込んだ詳しい状況把握が必要」と明記。従来の「個人の問題」という発想ではなく、社会の側の要因や障壁も検証すべき時にきていることを示唆した。

● 内閣府の調査で中高年は対象外 支援は若者ばかり

 洋野町の調査によれば、ひきこもり問題は中高年層においてとても深刻なものだった。秋田県藤里町もひきこもり問題に先駆的に取り組んでおり、同町の調査でもやはり、ひきこもっている人の半数近くを40歳以上が占めていた。

 にもかかわらず、国や行政はこれまで、若者の就労支援にばかり目を向けてきた。国の調査では40歳以上のひきこもっている人の存在は黙殺され、支援の枠組みからも置き去りにされている。         

 昨年公表された内閣府の15年度調査によれば、15~39歳のひきこもり者の人数は全国で推計約54万人。6年前の10年度調査より15万人余り減少したことから、公表時の会見で内閣府政策統括官の石田徹参事官は、「改善があったように思われる」と発言し、支援の実績をアピールしてみせた。

 しかし、10年度調査で「ひきこもり」層に占める割合が23.7%と最も多かったのは35~39歳。15年度調査では40歳を越えている彼らのその後については、「調査対象から外れていますので、正直言って分かりません」(石田参事官)と説明した。

 結局、6年前に35~39歳だった約17万人は、どこかに消えてしまったということになる。

 洋野町の調査は、その経緯や高齢者の多い土地柄であることを鑑みると、ひきこもっている人の年齢層が高くなりやすかった面はあるかもしれない。

 ただ、都市部の調査でも、愛媛県松山市では40歳以上の割合が65%を占めていた。そうした現状から推測すると、全国のひきこもり該当者数は、推計100万人を超えるとみられる。

 40歳以上を除外して実態から大きく懸け離れた「54万人」という数字だけが独り歩きして、地方自治体では「ひきこもりの人数が減った」からとして、予算が削られるなどの弊害も生じている。

 その間にも「ひきこもり期間」は長期化し、ひきこもる人たちの高齢化は進んでいる。

 ひきこもる本人が40代、50代になるにつれ、すでにほとんどが年金生活に移行している親も70代、80代と年を取る。親が病気や介護の対象になれば、あるいは亡くなれば、生きるための力を身に付けられなかった子どもだけでは家計が破綻したり、生活が成り立たなくなったりする可能性は高い。

 親亡き後の将来を悲観して心中したり、残された子どもが後を追うように自然死したりといった悲劇も起きている。

 「家の恥だ」とする考え方から、自ら支援を望まない「セルフネグレクト(自己放任)」も多く、表面に出てきている問題は氷山の一角だ。

● 70~80代の親が子を支える生活にタイムリミット

 前出の洋野町の高齢者はその後、町の地域包括支援センターのサポートの下、貯金に食い込まない範囲の金額で介護サービスを受け始めた。

 ひきこもっていた子どもは、支援なしで自立できる状態ではなかったため、障害者自立支援制度を利用して医療費を安くしてもらい、障害年金の受給も始まった。そうして生きていける希望を得たのである。

 親が元気なうちに、子どもが一人になっても生きる意志や能力を持ち続けられるよう、地域での関係性づくりが不可欠である。洋野町は調査を支援へとつなげており、学ぶところは多い。

 洋野町の地域包括支援センターで訪問活動をしている保健師の大光テイ子さんは、問題を抱える家庭について、「1回目ですぐ会えることはまずない。そうした難しさを行政も知っているから、“これからの問題”と言って手を掛けたくない分野なのかもしれない」と言う。

 訪問して「用はありません」と言われても、大光さんは「次、また来ていいですか?」と根気強く話し掛ける。「駄目って言われたきりだと、もう二度と行けなくなってしまうから」。

 何かあったときにすぐ動けるよう、家族とつながることが重要だ。先日も親が90代、ひきこもる子どもが50代という親子がいて「危機一髪だった」という。

 中高年のひきこもり本人を抱えて放置された「限界家族」の問題は、特定の町だけのものではなく、全国共通のものだ。水面下には、“親子共倒れ”予備軍が数多く存在している。国、行政は、喫緊の課題として、まず現実に即した実態の把握と関係性づくりを急がなければいけない。

 70~80代の親世代がひきこもる子どもの生活を維持するという状態は、そろそろタイムリミットを迎える。年老いた親たちは「自分に万一のことがあったら、子どもはどうなるのか。わが家はどうなるのか」と頭を抱えている。

 何十万もの世帯の崩壊へのカウントダウンは始まっている。         

池上正樹

2016年10月 3日 (月)

長谷川豊氏に思う

長谷川豊氏、彼は元フジテレビのアナウンサーであった。
そんな彼が退社せざるを得なくって、今は、フリーのアナウンサーであり、ブロガーでもある。
彼のブログは時々物議を醸す。
おそらく彼の中では、フリーの自分はブログに何を書いても職場に迷惑をかけないから自由だろう、という発想があるのかもしれない。
そして、私が思うに彼が誤った一つ目は、彼のブログのアクセス数が多かったことであろう。
彼自身、アナウンサー時代には味わえなかった世間の反応をアクセス数やコメント数で得た。
これは彼にとっては、刺激的であり、ブロガーにはまっていく起爆剤にもなるのだ。
そんな彼には、自分はフリーだから、という意識があるので、ブログはテレビ番組と違いスポンサーやテレビ局に迷惑をかけないという彼なりの思いがあるのだろう。
言葉もアクセス数を増やすためか挑発的になり、過激になる。
つまりは、人の気をひくためならば、多少乱暴な言葉をあえて選んだほうがいい、という考えになっていったのではないのか。
そして、時々、彼のブログはいわゆる炎上を起こす。
それでも、彼にとっては炎上でまたもアクセス数が増えるということで、炎上での批判よりもアクセス数さえ上がればそれでいいと考えたのかもしれない。
アクセス数を上げることで、彼は自身に社会的影響力が高まるという発想もあったのかもしれない。そして、同時に彼にとっては新規の仕事を得る営業にもなると計算があったのだろう。
そんな彼を慢心にさせているのが、彼の言葉を面白がってネット上で褒める人々である。そんな彼らに押されるようにして、彼らの支持を保つためのようにして、過激な言葉遣いを続けていく。
しかし、今回、彼は、人工透析をしている患者に向けて、医療費の全額負担を求め、それができない患者は、殺せ、とタイトルに付けた記事をアップした。
彼は完全に言葉で失敗した。
彼は、人工透析を受ける患者は自堕落な生活をした結果の病気だから、医療費は自己負担にして、自己負担ができない患者を殺せと。
病気になると患者自身がまずは苦しみ、医療費の増大は国家的な問題になっているから、生活習慣にも気を付けましょう、というような趣旨で書けば、なんということもない普通で、多くの人に受容されたはずだ。
それを彼はわざと過激で極端な言葉を選んだ。
もうここからして、彼は言葉で生きる人ではないということの証明になってしまった。
言ってはならないことと言っても良いことさえも選別できないということはアナウンサーやキャスターにふさわしいはずがない。それどころか、その前に社会人としての資質さえ問われる。
そんな彼が自身の番組の降板が決まると、とたんに彼は焦った。
彼自身、ブログのアクセス数が自分への世間の注目度や人気だと思い、仕事を依頼されるために自分の価値を高める手段としてのブログの記事のために、彼の仕事が減った、その事実を現れたのだから。

2016年8月22日 (月)

オリンピックに何も期待しない

オリンピックに出場する日本選手が負けると、日本国内でボロカスに言う人がいます。
「日本の恥だ」くらいのことまで言います。
しかし、そんな「国威発揚」の発想をいつまで続ける気と思うのです。
もうオリンピックで日本が元気になろうというような発想をやめたらいいと。
はっきり言えば、日本選手の活躍を見て元気になろうだの希望を与えられたいだのというのは、選手にとってはいい迷惑です。
スポーツはその本人のためにやっているだけ。
そんな他人のやっていることに口出しをし、挙句の果てには、負けるとボロカスに言う。
そんな他人が口をはさむことではありません。
やっている当人に任せればいいことです。
「オリンピックで日本が元気に」
「オリンピックで感動を」
「スポーツで希望を与えたい」
「がんばれニッポン」
もうやめてほしいですね。
そういう他人のやっていることに勝手な幻想をいだいて、希望だの元気だの感動だのって。
希望や元気をスポーツを観戦してもらうのが悪いと言っているのではありません。
選手が負けたら、選手が失敗したら、観ている側の勝手な幻想なのに、あたかも「裏切られた」かのように言うのはやめましょうよ。
ですから、私はオリンピックに何も期待していません。
そんな自分勝手な幻想を選手に背負わせて、選手から希望だの感動だのをもらおうなんて図々しいとしか言えません。そして、選手にとっては、ただの迷惑でしかないですから。
 

こんな記事が「SMAP解散。既婚者と独身者の間にある「広く深い溝」を埋めるものとは?」

SMAP解散。既婚者と独身者の間にある「広く深い溝」を埋めるものとは?

「既婚の同期から、『私も前はそういう(不毛な)恋愛をしていたな』みたいな発言をされるとイラッと来ます。同い年なのに上から目線。結婚しただけでそんなにエラいんでしょうか?」

先日、32歳の女性銀行員がこんな本音を聞かせてくれた。彼女はエリア総合職(一般職相当)であり、地元志向の同期たちは行内外のエリート男性と20代後半で結婚するのが「王道」らしい。ひと昔前と異なるのは、寿退社をする人は少数派で、結婚してからも働き続けることだ。同じ仕事をする仲間であり続けながらも、2人の間には広くて深い心理的な溝が生まれる。

結婚、出産、育児は生活と行動パターンを一変するほどのインパクトがある。仕事や趣味、交際だけに集中していた独身時代とは関心事も変わってくる。そうでなければ家庭生活を維持するのは難しい。先日、TOKIOの山口達也が離婚会見をした際、自分が仕事と趣味、交際を大事にし過ぎてしまい、家族を疎かにしたのが最大の離婚原因だと明かしていた。おそらく本当のことだろう。

週刊文春の報道によれば、解散を発表したSMAPはすでに15年前には「壊れていた」という。その主因は、2000年に工藤静香と「授かり婚」をした木村拓哉と他の独身メンバー4人の確執だと指摘されている。SMAPがジャニーズ事務所からの独立を模索していた際、「家族のために」と木村を引き止めたのは妻の工藤だったという。

筆者は関係者に取材をしているわけではないので、真相はわからない。しかし、報道内容が事実だと仮定して、仕事仲間などの緊密な人間関係における既婚者と独身者の関係性について考えることはできる。

まず必要なのは時間である。時間の経過とともに心理的距離は変化することを念頭におくべきだ。例えば新婚時代。恋愛感情は高まったままであり、両親などへの挨拶や結婚式、引っ越しなどが目まぐるしく続く。どんなに親しい間柄の友人や同僚とも疎遠になるのは仕方ない。木村と工藤のように出産・育児も同時並行の場合はなおさらだ。

しかし、燃えるような恋愛感情はいつまでも続かない。子どもも少しずつ手を離れていく。そのときに、かつての新婚夫婦は「家族ベッタリでは社会において幸せになれない」ことを痛感する。夫と妻でそれぞれ大事にする人間関係も必要だし、夫婦で一緒に親しくなれる人がいれば最高だ。しばらく連絡をとっていなかった旧友とも再会したくなるだろう。そのことを既婚者と独身者の双方が理解し、長い目でお互いの関係性を捉えなければならない。

次に重要なのは配偶者の性格と意向だ。夫もしくは妻に、自分たち家族だけを大事にするように仕向けていたら、やがては核家族だけで孤立してしまう。それを防ぐためには、「男には(女にも)自分の世界がある」(ルパン三世のテーマ曲より)ことを念頭に置き、相手が仕事や交友関係を伸び伸びと続けられるようにすることだ。無理に支援はしなくてもいい。最低でも邪魔をしないことが求められる。

このように書くと、「どんな仕事をして、何にお金と時間を使って、誰と仲良くするのかは配偶者である自分の意向に沿うべきだ」と感じる人がいるかもしれない。筆者はそうは思わない。恋人の仕事や趣味、交際などがどうしても気に入らないのであれば、そもそも結婚をしないほうがいい。相手は立派な成人である。自分の意のままにしようと考えるのはおこがましいことだし、実践してしまうと上述のように家族で孤立する不幸を招くだろう。

友人や同僚の側としても、既婚者との関係を大切にするならば、その配偶者も好きになる努力をしなければならない。報道によれば、木村と工藤の結婚にはSMAPの元マネージャーが大反対をしたという。他のメンバーはどうだったのだろうか。SMAPという仕事仲間としては反対だったとしても、友人としては2人の結婚を祝福し、工藤とも親しくなりたい気持ちを伝えただろうか。矛盾していてもかまわない。時間をかけてでも、気持ちを伝えるべきなのだ。そうすれば、既婚者と独身者の溝はきっと埋まる。

(以上、転載了)

2016年7月29日 (金)

テレビ朝日アナウンサー・小川彩佳さん、くだらないイチャモンなんて気にしないでください

相模原殺傷報道で「報ステ」小川彩佳アナが涙浮かべ沈黙

26日未明に相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で発生した殺傷事件。その内容を伝える27日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)で、小川彩佳アナ(31)が涙ぐむ一幕があった。

 番組では障害者団体から発表された、全国の障害者に宛てたメッセージをVTRで紹介。「亡くなった人たちのことを思うと、とても悲しく、悔しい思いです」などと画面に表示された文章を、ナレーターが読み上げた。

 VTR終了後、富川悠太アナ(39)が「本当にその通りですよね」と小川アナに語りかけると、小川アナは目に涙を浮かべ、数秒間にわたり沈黙。その後「すいません」とカメラに向かって一礼し、鼻をすすると涙声で「続いてのニュースです」と気持ちを切り替えるように語った。

 犠牲者19人、負傷者26人という犯罪史上空前の惨劇だけに、小川アナのショックも大きかったのだろうが、アナウンサーが番組中に涙を見せたことに視聴者からは、<感極まったのか><報道は淡々と事実だけを流すべき>といったやや厳しい声が。一方では、<真っ当な感情の持ち主><あそこは泣く場面だよ><やっぱ人間味も出さないとね>など、小川アナに共感した視聴者もいた。

「報ステ」では淡々としているイメージがある小川アナの突然の涙に、視聴者も思わず反応してしまったようだ。
(以上、転載了)
私もこの日、この番組をみました。
小川さんが涙するのも無理がありません。小川さんの姿が映るシーンの前のVTRをみて、視聴者のなかでも切なさやかわいそうだと思う気持ちなどで涙した人も多かったと思います。
そのVTRをみて涙した小川さんを見て、私は、良い意味で「人間的」だと思ったし、「優しさ」を感じました。
プロだから涙を見せてはいけない、などの意見もあるでしょう。
しかし、それは私は「イチャモン」にしか感じません。
よくニュースのなかで「お悔やみ申し上げます」「ご遺族は沈痛な思いでしょうね」などと言っているけれども、果たしてテレビ番組に携わる人はこんな凄惨な事件を報道して、ただ仕事だからと割り切って報道しているのだろうか、なんの感情も持たないのだろうか、と思う時もありました。
しかし、小川さんの涙を見て、報道する人も視聴者と同じ「気持ち」があるのかと、報道への信頼さえも感じました。
私は、小川さんが涙されたことはプロである前に人間として至極自然なことであると思います。
小川さんを批判している人は、プロとは感情を見せない、まるでロボットのような働きをすべき存在と考えているのでしょうか。
 

2016年5月18日 (水)

<HKT48>「女性蔑視の歌詞だ」新曲に批判に思う

<HKT48>「女性蔑視の歌詞だ」新曲に批判

毎日新聞 5月17日(火)19時23分配信

「女の子は 可愛くなきゃね 学生時代は おバカでいい」。
秋元康さんが作詞したアイドルグループ「HKT48」の歌「アインシュタインよりディアナ・アグロン」に、「女性蔑視の歌詞だ」と批判が起きている。
恵泉女学園大(東京都多摩市)の大日向雅美学長は、学生による反論と替え歌を学長ブログに掲載。「学生は将来輝くために勉強している。可愛いことと頭が良いことを二律背反に捉えた詞には違和感がある」と話している。

 曲は4月13日に発売された。「頭からっぽでいい」「世の中のジョーシキ 何も知らなくても メイク上手ならいい」と見た目重視の女子の心情を歌う。

 ディアナ・アグロンは米女優。高校のチアリーダーとして活躍し、卒業後は名門エール大に進学する美少女を米人気テレビドラマ「グリー」で演じる。

 学生から曲を知らされた大日向学長が、授業で取り上げると「テストの点より瞳の大きさが気になったことはある」との声が出る一方、「学生時代おバカだと、一生おバカ」「内面からも人は輝ける」と反論が相次いだ。

 ブログでは、学生による替え歌を紹介している。「メイク練習しつつ ニュースも見よう」「アインシュタインにもなりたいし ディアナ・アグロンにもなりたいし もっともっと輝きたい」

 女性の社会進出に詳しい千田有紀・武蔵大教授(社会学)は「『女の子は恋が仕事よ』とあるが、今は雇用が不安定で女性も働き、知識や聡明(そうめい)さもないと生きていけない時代。昭和的価値観を強調するのは時代遅れだ」としている。HKT48の運営管理会社、AKSは「特にコメントすることはない」とし、秋元氏の事務所は期限までに返答がなかった。【
野村房代】
(以上、転載了)
女性の社会進出に詳しい千田有紀・武蔵大教授(社会学)は「『女の子は恋が仕事よ』とあるが、今は雇用が不安定で女性も働き、知識や聡明(そうめい)さもないと生きていけない時代。昭和的価値観を強調するのは時代遅れだ」としている。
とありますが、誤解を招く言い方になりますが、「今は雇用が不安定で女性も働き、知識や聡明(そうめい)さもないと生きていけない時代。」ということが問題ではないですか。
不安定な雇用が広がり、「女性の活用」「女性の活躍」「一億総活躍」だのと結局は外に働きに出なくては生活できない、経済的にひっ迫している状況になっている、その原因である政治を改善していこうと考えたほうがいいと思います。
それなのに、先に、『女の子は恋が仕事よ』の歌詞にかみつくのはいかがでしょうか。
女の子は恋が仕事よ」「女の子は 可愛くなきゃね 学生時代は おバカでいい」と言えるようなおおらかな世の中のほうがいいと思うのです。

2016年4月22日 (金)

熊本地震をめぐって芸能人を一々誹謗中傷するって

熊本地震で芸能人が被災地に寄付をしたら、ネット上では「偽善」だのと「批判」ならぬ「誹謗中傷」。
祖母の家が被害にあったと、芸能人がネットに書き込んだら、ネット上では「もっと被災して困っている人がいる」「いちいち芸能人が言わなくてもいい」だのと「批判」ならぬ「誹謗中傷」。
実家が全壊したとブログに書いたら、ネット上では「批判」ならぬ「誹謗中傷」。
まったくわけわかりません。
ネット上の誹謗中傷の言い分では「もっと被災して困っている人がいる」だの「いちいち芸能人が言わなくてもいい」だのと。
「もっと被災して困っている人がいる」
この理屈(ならぬ屁理屈)、よく私たちが陥りやすい思いです。
要は、自分だけが困っているのではなく、もっと困っている人がいるのだから、いちいち泣くな、いちいち言うな、というものです。
でも、悲しさも辛さも痛みも悔しさも、それは誰かと比べてあるものではありません。
悲しさも辛さも痛みも悔しさも、その人にとってのものなのです。
それでも、もし、「もっと被災して困っている人がいる」と言いたければ、それは自分が被災したときに、自分がつらいことがあったときに、自分が困ったことがあったときに自分に向けて言えばいいのです。
他人に向けて言う言葉と、自分に向けて言う言葉を混同してはいませんか。
もし他人の気持ちに共感できなければ、黙っていればいいだけなのです。
 
わざわざ自分が他人の気持ちに共感できないことを、あたかも正論を言うようにして、実は自分の他人を思いやる気持ちが欠如していることを露呈する必要もありません。

2016年4月20日 (水)

熊本地震で湧いて出てくるチンピラ根性

熊本での地震の後、芸能人のブログやツイッターなどで些細なことを取り上げて、あるいは、テレビ番組で笑顔になっただけで、
「自分だけ被災者面するのはやめてほしい」
「不謹慎だ」
などの「攻撃」(誹謗中傷)がネット上で起きているといいます。
それは、実家が全壊したのに、そのことをブログに書き込んだ女性芸能人にも向けられています。
これらは、被災者の方々の代弁でも、被災者の代わりに怒っているという義憤でもありません。
地震にかこつけて、被災者側についたフリをして、誰か攻撃できるターゲットを探しては、難癖をつけては攻撃(誹謗中傷)をしているだけ。
こういう輩を簡単にいえば「チンピラ」と言うのです。
ゆすりたかり(恐喝)はしないけれど、難癖をつけては他人にからんで嫌がらせをしている点だけで、十分に「チンピラ」です。
 
少しすれ違いざまに触れたくらいで、
「おい、人にぶつかって黙って行くのかよ」
「すみません」
「すみません、じゃないんだよ。ちゃんと謝れよ」
「ごめんなさい」
「謝って済めば警察はいらないんだよ」
みたいな、言いがかり(難癖)としか言いようのないことを言っている「チンピラ」がネット上で匿名でいられることをいいことにはびこっているのです。
後で誰がそんなことを言っているのか特定できるようになったら、どうするの?
 
そのとき、判明した「チンピラ」にみんなで難癖をつけるのでしょうか。
 

2016年4月11日 (月)

カップヌードルCMをめぐる日清食品へのクレーム問題を考える

「批判は想定していたが…」攻め過ぎたカップヌードルのCMが放送中止に

BuzzFeed Japan 4月8日(金)14時59分配信

日清食品が3月30日から放送していたカップヌードルのテレビCMを「中止する」と発表した。CMにはビートたけしさん、矢口真里さん、新垣隆さんらが出演していた。【BuzzFeed Japan / 與座ひかる】 .
取り下げになったのは「OBAKA’s UNIVERSITY」というシリーズの第一弾。ビートたけしさんが初代学長を務める大学が舞台だ。 「バカになる、それは自分をさらけ出すことだ」というビートたけしさんのセリフのあと、矢口真里さんや新垣隆さんなど、”ある意味社会を賑わした人”たちが、教授として登壇する。 矢口真里さんを「危機管理の権威」として心理学部の准教授として登場させ、徹底的にイジり倒すなど、その攻めたユーモアの姿勢には「名作」との声も上がっていた。 .
日清食品の広報担当者に中止の背景を聞く ーー「たくさんのご意見」があったそうですが、具体的に何件でしたか。 具体的な数字は控えさせていただきます。ただ相当数の数でした。1件、2件ではありません。
ーー「ご不快な思いを感じさせる表現がありました」とありますが、どのあたりが不快なんですか。
CMの中の表現です。虚偽や不倫を擁護する表現がありました。
ーー制作の段階で批判は折り込み済みだったのでは?
実際に想定はしていました。しかし、それよりも多くの批判的な意見をいただきました。
ーーその一方でCMを賞賛する声もあったと思いますが。
ありました。そういった意見に関してはありがたく受け取っています。ただ今回は申し訳ありませんが、社内で検討結果した結果、不快な思いをする人もいるので中止といたしました。
(以上、転載了)
たとえば矢口真里さんのやったことは褒められたことではありません。
その彼女がしたことを、許せる、許せない、という感情はそれぞれあるでしょう。
しかし、私たちの99.9%の人々は、彼女から何ら利益も得ていないかわりに、何ら不利益も与えられていません。
せいぜい不快な思いを与えられたというものでしょう。
それなのに、あたかも自分が被害者のように、あるいは正義の味方のようにして日清食品にクレームの電話やメールを入れたりしているのです。
彼女がもし悪いことをしても、被害者でも当事者でもない私たちが彼女を嫌うことはあるでしょう。
でも、それ以上のことを私たちがしても許されるのかどうかは別ではないですか。
そんな彼女を責め立てるエネルギーがあるならば、自分に直接かかわる政治に目を向けて、私たちの生活や人権、平和な暮らしを脅かそうとする政治に怒りを向けるべきではないかと思うのですが。それこそ私たち自身が被害者・当事者なのですから。
ところで、
「赦すは人、裁くは神」
と聞いたことがあります。
私たちが人を裁くという振る舞いをすることは傲慢でしかないのかも知れません。
 
 
 

より以前の記事一覧