生き方

2016年10月 3日 (月)

長谷川豊氏に思う

長谷川豊氏、彼は元フジテレビのアナウンサーであった。
そんな彼が退社せざるを得なくって、今は、フリーのアナウンサーであり、ブロガーでもある。
彼のブログは時々物議を醸す。
おそらく彼の中では、フリーの自分はブログに何を書いても職場に迷惑をかけないから自由だろう、という発想があるのかもしれない。
そして、私が思うに彼が誤った一つ目は、彼のブログのアクセス数が多かったことであろう。
彼自身、アナウンサー時代には味わえなかった世間の反応をアクセス数やコメント数で得た。
これは彼にとっては、刺激的であり、ブロガーにはまっていく起爆剤にもなるのだ。
そんな彼には、自分はフリーだから、という意識があるので、ブログはテレビ番組と違いスポンサーやテレビ局に迷惑をかけないという彼なりの思いがあるのだろう。
言葉もアクセス数を増やすためか挑発的になり、過激になる。
つまりは、人の気をひくためならば、多少乱暴な言葉をあえて選んだほうがいい、という考えになっていったのではないのか。
そして、時々、彼のブログはいわゆる炎上を起こす。
それでも、彼にとっては炎上でまたもアクセス数が増えるということで、炎上での批判よりもアクセス数さえ上がればそれでいいと考えたのかもしれない。
アクセス数を上げることで、彼は自身に社会的影響力が高まるという発想もあったのかもしれない。そして、同時に彼にとっては新規の仕事を得る営業にもなると計算があったのだろう。
そんな彼を慢心にさせているのが、彼の言葉を面白がってネット上で褒める人々である。そんな彼らに押されるようにして、彼らの支持を保つためのようにして、過激な言葉遣いを続けていく。
しかし、今回、彼は、人工透析をしている患者に向けて、医療費の全額負担を求め、それができない患者は、殺せ、とタイトルに付けた記事をアップした。
彼は完全に言葉で失敗した。
彼は、人工透析を受ける患者は自堕落な生活をした結果の病気だから、医療費は自己負担にして、自己負担ができない患者を殺せと。
病気になると患者自身がまずは苦しみ、医療費の増大は国家的な問題になっているから、生活習慣にも気を付けましょう、というような趣旨で書けば、なんということもない普通で、多くの人に受容されたはずだ。
それを彼はわざと過激で極端な言葉を選んだ。
もうここからして、彼は言葉で生きる人ではないということの証明になってしまった。
言ってはならないことと言っても良いことさえも選別できないということはアナウンサーやキャスターにふさわしいはずがない。それどころか、その前に社会人としての資質さえ問われる。
そんな彼が自身の番組の降板が決まると、とたんに彼は焦った。
彼自身、ブログのアクセス数が自分への世間の注目度や人気だと思い、仕事を依頼されるために自分の価値を高める手段としてのブログの記事のために、彼の仕事が減った、その事実を現れたのだから。

2016年8月22日 (月)

オリンピックに何も期待しない

オリンピックに出場する日本選手が負けると、日本国内でボロカスに言う人がいます。
「日本の恥だ」くらいのことまで言います。
しかし、そんな「国威発揚」の発想をいつまで続ける気と思うのです。
もうオリンピックで日本が元気になろうというような発想をやめたらいいと。
はっきり言えば、日本選手の活躍を見て元気になろうだの希望を与えられたいだのというのは、選手にとってはいい迷惑です。
スポーツはその本人のためにやっているだけ。
そんな他人のやっていることに口出しをし、挙句の果てには、負けるとボロカスに言う。
そんな他人が口をはさむことではありません。
やっている当人に任せればいいことです。
「オリンピックで日本が元気に」
「オリンピックで感動を」
「スポーツで希望を与えたい」
「がんばれニッポン」
もうやめてほしいですね。
そういう他人のやっていることに勝手な幻想をいだいて、希望だの元気だの感動だのって。
希望や元気をスポーツを観戦してもらうのが悪いと言っているのではありません。
選手が負けたら、選手が失敗したら、観ている側の勝手な幻想なのに、あたかも「裏切られた」かのように言うのはやめましょうよ。
ですから、私はオリンピックに何も期待していません。
そんな自分勝手な幻想を選手に背負わせて、選手から希望だの感動だのをもらおうなんて図々しいとしか言えません。そして、選手にとっては、ただの迷惑でしかないですから。
 

こんな記事が「SMAP解散。既婚者と独身者の間にある「広く深い溝」を埋めるものとは?」

SMAP解散。既婚者と独身者の間にある「広く深い溝」を埋めるものとは?

「既婚の同期から、『私も前はそういう(不毛な)恋愛をしていたな』みたいな発言をされるとイラッと来ます。同い年なのに上から目線。結婚しただけでそんなにエラいんでしょうか?」

先日、32歳の女性銀行員がこんな本音を聞かせてくれた。彼女はエリア総合職(一般職相当)であり、地元志向の同期たちは行内外のエリート男性と20代後半で結婚するのが「王道」らしい。ひと昔前と異なるのは、寿退社をする人は少数派で、結婚してからも働き続けることだ。同じ仕事をする仲間であり続けながらも、2人の間には広くて深い心理的な溝が生まれる。

結婚、出産、育児は生活と行動パターンを一変するほどのインパクトがある。仕事や趣味、交際だけに集中していた独身時代とは関心事も変わってくる。そうでなければ家庭生活を維持するのは難しい。先日、TOKIOの山口達也が離婚会見をした際、自分が仕事と趣味、交際を大事にし過ぎてしまい、家族を疎かにしたのが最大の離婚原因だと明かしていた。おそらく本当のことだろう。

週刊文春の報道によれば、解散を発表したSMAPはすでに15年前には「壊れていた」という。その主因は、2000年に工藤静香と「授かり婚」をした木村拓哉と他の独身メンバー4人の確執だと指摘されている。SMAPがジャニーズ事務所からの独立を模索していた際、「家族のために」と木村を引き止めたのは妻の工藤だったという。

筆者は関係者に取材をしているわけではないので、真相はわからない。しかし、報道内容が事実だと仮定して、仕事仲間などの緊密な人間関係における既婚者と独身者の関係性について考えることはできる。

まず必要なのは時間である。時間の経過とともに心理的距離は変化することを念頭におくべきだ。例えば新婚時代。恋愛感情は高まったままであり、両親などへの挨拶や結婚式、引っ越しなどが目まぐるしく続く。どんなに親しい間柄の友人や同僚とも疎遠になるのは仕方ない。木村と工藤のように出産・育児も同時並行の場合はなおさらだ。

しかし、燃えるような恋愛感情はいつまでも続かない。子どもも少しずつ手を離れていく。そのときに、かつての新婚夫婦は「家族ベッタリでは社会において幸せになれない」ことを痛感する。夫と妻でそれぞれ大事にする人間関係も必要だし、夫婦で一緒に親しくなれる人がいれば最高だ。しばらく連絡をとっていなかった旧友とも再会したくなるだろう。そのことを既婚者と独身者の双方が理解し、長い目でお互いの関係性を捉えなければならない。

次に重要なのは配偶者の性格と意向だ。夫もしくは妻に、自分たち家族だけを大事にするように仕向けていたら、やがては核家族だけで孤立してしまう。それを防ぐためには、「男には(女にも)自分の世界がある」(ルパン三世のテーマ曲より)ことを念頭に置き、相手が仕事や交友関係を伸び伸びと続けられるようにすることだ。無理に支援はしなくてもいい。最低でも邪魔をしないことが求められる。

このように書くと、「どんな仕事をして、何にお金と時間を使って、誰と仲良くするのかは配偶者である自分の意向に沿うべきだ」と感じる人がいるかもしれない。筆者はそうは思わない。恋人の仕事や趣味、交際などがどうしても気に入らないのであれば、そもそも結婚をしないほうがいい。相手は立派な成人である。自分の意のままにしようと考えるのはおこがましいことだし、実践してしまうと上述のように家族で孤立する不幸を招くだろう。

友人や同僚の側としても、既婚者との関係を大切にするならば、その配偶者も好きになる努力をしなければならない。報道によれば、木村と工藤の結婚にはSMAPの元マネージャーが大反対をしたという。他のメンバーはどうだったのだろうか。SMAPという仕事仲間としては反対だったとしても、友人としては2人の結婚を祝福し、工藤とも親しくなりたい気持ちを伝えただろうか。矛盾していてもかまわない。時間をかけてでも、気持ちを伝えるべきなのだ。そうすれば、既婚者と独身者の溝はきっと埋まる。

(以上、転載了)

2016年7月29日 (金)

テレビ朝日アナウンサー・小川彩佳さん、くだらないイチャモンなんて気にしないでください

相模原殺傷報道で「報ステ」小川彩佳アナが涙浮かべ沈黙

26日未明に相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で発生した殺傷事件。その内容を伝える27日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)で、小川彩佳アナ(31)が涙ぐむ一幕があった。

 番組では障害者団体から発表された、全国の障害者に宛てたメッセージをVTRで紹介。「亡くなった人たちのことを思うと、とても悲しく、悔しい思いです」などと画面に表示された文章を、ナレーターが読み上げた。

 VTR終了後、富川悠太アナ(39)が「本当にその通りですよね」と小川アナに語りかけると、小川アナは目に涙を浮かべ、数秒間にわたり沈黙。その後「すいません」とカメラに向かって一礼し、鼻をすすると涙声で「続いてのニュースです」と気持ちを切り替えるように語った。

 犠牲者19人、負傷者26人という犯罪史上空前の惨劇だけに、小川アナのショックも大きかったのだろうが、アナウンサーが番組中に涙を見せたことに視聴者からは、<感極まったのか><報道は淡々と事実だけを流すべき>といったやや厳しい声が。一方では、<真っ当な感情の持ち主><あそこは泣く場面だよ><やっぱ人間味も出さないとね>など、小川アナに共感した視聴者もいた。

「報ステ」では淡々としているイメージがある小川アナの突然の涙に、視聴者も思わず反応してしまったようだ。
(以上、転載了)
私もこの日、この番組をみました。
小川さんが涙するのも無理がありません。小川さんの姿が映るシーンの前のVTRをみて、視聴者のなかでも切なさやかわいそうだと思う気持ちなどで涙した人も多かったと思います。
そのVTRをみて涙した小川さんを見て、私は、良い意味で「人間的」だと思ったし、「優しさ」を感じました。
プロだから涙を見せてはいけない、などの意見もあるでしょう。
しかし、それは私は「イチャモン」にしか感じません。
よくニュースのなかで「お悔やみ申し上げます」「ご遺族は沈痛な思いでしょうね」などと言っているけれども、果たしてテレビ番組に携わる人はこんな凄惨な事件を報道して、ただ仕事だからと割り切って報道しているのだろうか、なんの感情も持たないのだろうか、と思う時もありました。
しかし、小川さんの涙を見て、報道する人も視聴者と同じ「気持ち」があるのかと、報道への信頼さえも感じました。
私は、小川さんが涙されたことはプロである前に人間として至極自然なことであると思います。
小川さんを批判している人は、プロとは感情を見せない、まるでロボットのような働きをすべき存在と考えているのでしょうか。
 

2016年5月18日 (水)

<HKT48>「女性蔑視の歌詞だ」新曲に批判に思う

<HKT48>「女性蔑視の歌詞だ」新曲に批判

毎日新聞 5月17日(火)19時23分配信

「女の子は 可愛くなきゃね 学生時代は おバカでいい」。
秋元康さんが作詞したアイドルグループ「HKT48」の歌「アインシュタインよりディアナ・アグロン」に、「女性蔑視の歌詞だ」と批判が起きている。
恵泉女学園大(東京都多摩市)の大日向雅美学長は、学生による反論と替え歌を学長ブログに掲載。「学生は将来輝くために勉強している。可愛いことと頭が良いことを二律背反に捉えた詞には違和感がある」と話している。

 曲は4月13日に発売された。「頭からっぽでいい」「世の中のジョーシキ 何も知らなくても メイク上手ならいい」と見た目重視の女子の心情を歌う。

 ディアナ・アグロンは米女優。高校のチアリーダーとして活躍し、卒業後は名門エール大に進学する美少女を米人気テレビドラマ「グリー」で演じる。

 学生から曲を知らされた大日向学長が、授業で取り上げると「テストの点より瞳の大きさが気になったことはある」との声が出る一方、「学生時代おバカだと、一生おバカ」「内面からも人は輝ける」と反論が相次いだ。

 ブログでは、学生による替え歌を紹介している。「メイク練習しつつ ニュースも見よう」「アインシュタインにもなりたいし ディアナ・アグロンにもなりたいし もっともっと輝きたい」

 女性の社会進出に詳しい千田有紀・武蔵大教授(社会学)は「『女の子は恋が仕事よ』とあるが、今は雇用が不安定で女性も働き、知識や聡明(そうめい)さもないと生きていけない時代。昭和的価値観を強調するのは時代遅れだ」としている。HKT48の運営管理会社、AKSは「特にコメントすることはない」とし、秋元氏の事務所は期限までに返答がなかった。【
野村房代】
(以上、転載了)
女性の社会進出に詳しい千田有紀・武蔵大教授(社会学)は「『女の子は恋が仕事よ』とあるが、今は雇用が不安定で女性も働き、知識や聡明(そうめい)さもないと生きていけない時代。昭和的価値観を強調するのは時代遅れだ」としている。
とありますが、誤解を招く言い方になりますが、「今は雇用が不安定で女性も働き、知識や聡明(そうめい)さもないと生きていけない時代。」ということが問題ではないですか。
不安定な雇用が広がり、「女性の活用」「女性の活躍」「一億総活躍」だのと結局は外に働きに出なくては生活できない、経済的にひっ迫している状況になっている、その原因である政治を改善していこうと考えたほうがいいと思います。
それなのに、先に、『女の子は恋が仕事よ』の歌詞にかみつくのはいかがでしょうか。
女の子は恋が仕事よ」「女の子は 可愛くなきゃね 学生時代は おバカでいい」と言えるようなおおらかな世の中のほうがいいと思うのです。

2016年4月22日 (金)

熊本地震をめぐって芸能人を一々誹謗中傷するって

熊本地震で芸能人が被災地に寄付をしたら、ネット上では「偽善」だのと「批判」ならぬ「誹謗中傷」。
祖母の家が被害にあったと、芸能人がネットに書き込んだら、ネット上では「もっと被災して困っている人がいる」「いちいち芸能人が言わなくてもいい」だのと「批判」ならぬ「誹謗中傷」。
実家が全壊したとブログに書いたら、ネット上では「批判」ならぬ「誹謗中傷」。
まったくわけわかりません。
ネット上の誹謗中傷の言い分では「もっと被災して困っている人がいる」だの「いちいち芸能人が言わなくてもいい」だのと。
「もっと被災して困っている人がいる」
この理屈(ならぬ屁理屈)、よく私たちが陥りやすい思いです。
要は、自分だけが困っているのではなく、もっと困っている人がいるのだから、いちいち泣くな、いちいち言うな、というものです。
でも、悲しさも辛さも痛みも悔しさも、それは誰かと比べてあるものではありません。
悲しさも辛さも痛みも悔しさも、その人にとってのものなのです。
それでも、もし、「もっと被災して困っている人がいる」と言いたければ、それは自分が被災したときに、自分がつらいことがあったときに、自分が困ったことがあったときに自分に向けて言えばいいのです。
他人に向けて言う言葉と、自分に向けて言う言葉を混同してはいませんか。
もし他人の気持ちに共感できなければ、黙っていればいいだけなのです。
 
わざわざ自分が他人の気持ちに共感できないことを、あたかも正論を言うようにして、実は自分の他人を思いやる気持ちが欠如していることを露呈する必要もありません。

2016年4月20日 (水)

熊本地震で湧いて出てくるチンピラ根性

熊本での地震の後、芸能人のブログやツイッターなどで些細なことを取り上げて、あるいは、テレビ番組で笑顔になっただけで、
「自分だけ被災者面するのはやめてほしい」
「不謹慎だ」
などの「攻撃」(誹謗中傷)がネット上で起きているといいます。
それは、実家が全壊したのに、そのことをブログに書き込んだ女性芸能人にも向けられています。
これらは、被災者の方々の代弁でも、被災者の代わりに怒っているという義憤でもありません。
地震にかこつけて、被災者側についたフリをして、誰か攻撃できるターゲットを探しては、難癖をつけては攻撃(誹謗中傷)をしているだけ。
こういう輩を簡単にいえば「チンピラ」と言うのです。
ゆすりたかり(恐喝)はしないけれど、難癖をつけては他人にからんで嫌がらせをしている点だけで、十分に「チンピラ」です。
 
少しすれ違いざまに触れたくらいで、
「おい、人にぶつかって黙って行くのかよ」
「すみません」
「すみません、じゃないんだよ。ちゃんと謝れよ」
「ごめんなさい」
「謝って済めば警察はいらないんだよ」
みたいな、言いがかり(難癖)としか言いようのないことを言っている「チンピラ」がネット上で匿名でいられることをいいことにはびこっているのです。
後で誰がそんなことを言っているのか特定できるようになったら、どうするの?
 
そのとき、判明した「チンピラ」にみんなで難癖をつけるのでしょうか。
 

2016年4月11日 (月)

カップヌードルCMをめぐる日清食品へのクレーム問題を考える

「批判は想定していたが…」攻め過ぎたカップヌードルのCMが放送中止に

BuzzFeed Japan 4月8日(金)14時59分配信

日清食品が3月30日から放送していたカップヌードルのテレビCMを「中止する」と発表した。CMにはビートたけしさん、矢口真里さん、新垣隆さんらが出演していた。【BuzzFeed Japan / 與座ひかる】 .
取り下げになったのは「OBAKA’s UNIVERSITY」というシリーズの第一弾。ビートたけしさんが初代学長を務める大学が舞台だ。 「バカになる、それは自分をさらけ出すことだ」というビートたけしさんのセリフのあと、矢口真里さんや新垣隆さんなど、”ある意味社会を賑わした人”たちが、教授として登壇する。 矢口真里さんを「危機管理の権威」として心理学部の准教授として登場させ、徹底的にイジり倒すなど、その攻めたユーモアの姿勢には「名作」との声も上がっていた。 .
日清食品の広報担当者に中止の背景を聞く ーー「たくさんのご意見」があったそうですが、具体的に何件でしたか。 具体的な数字は控えさせていただきます。ただ相当数の数でした。1件、2件ではありません。
ーー「ご不快な思いを感じさせる表現がありました」とありますが、どのあたりが不快なんですか。
CMの中の表現です。虚偽や不倫を擁護する表現がありました。
ーー制作の段階で批判は折り込み済みだったのでは?
実際に想定はしていました。しかし、それよりも多くの批判的な意見をいただきました。
ーーその一方でCMを賞賛する声もあったと思いますが。
ありました。そういった意見に関してはありがたく受け取っています。ただ今回は申し訳ありませんが、社内で検討結果した結果、不快な思いをする人もいるので中止といたしました。
(以上、転載了)
たとえば矢口真里さんのやったことは褒められたことではありません。
その彼女がしたことを、許せる、許せない、という感情はそれぞれあるでしょう。
しかし、私たちの99.9%の人々は、彼女から何ら利益も得ていないかわりに、何ら不利益も与えられていません。
せいぜい不快な思いを与えられたというものでしょう。
それなのに、あたかも自分が被害者のように、あるいは正義の味方のようにして日清食品にクレームの電話やメールを入れたりしているのです。
彼女がもし悪いことをしても、被害者でも当事者でもない私たちが彼女を嫌うことはあるでしょう。
でも、それ以上のことを私たちがしても許されるのかどうかは別ではないですか。
そんな彼女を責め立てるエネルギーがあるならば、自分に直接かかわる政治に目を向けて、私たちの生活や人権、平和な暮らしを脅かそうとする政治に怒りを向けるべきではないかと思うのですが。それこそ私たち自身が被害者・当事者なのですから。
ところで、
「赦すは人、裁くは神」
と聞いたことがあります。
私たちが人を裁くという振る舞いをすることは傲慢でしかないのかも知れません。
 
 
 

2016年3月19日 (土)

一億総いじめ社会

最近のニュースで、元プロ野球選手の清原和博氏、経営コンサルタントの川上氏をマスコミは叩いています。

清原氏でいえば、元妻がブランド発表したことまで清原和博氏と絡めて報道しています。

清原氏が釈放されて、清原氏が乗る車をヘリコプターで追いかける始末。

川上氏でいえば、日テレの番組「スッキリ」で、川上氏がレギュラーの番組がないからだろうけれど、川上氏が高校まで過ごした熊本市まで行って、川上氏のあだ名などを報じている。

だったら、日テレがそんなに頑張るならば巨人軍の賭博について報じて欲しい。

そもそも清原氏や川上氏が私たちに何かしたか。
私たちに何か影響があるか。

まるでマスコミのやっていることはいじめの体質そのものではないか。

いじめっ子に言わせると、いじめでなく制裁だと。それも、やられる側に理由かあると。
そして、いじめっ子はいじめられる側の悪口を言いふらして、いじめに加わる人たちを増やす。

自分一人ではいじめっ子にならないのだ。

そして、いじめっ子は言う。

「やったのは私一人ではない。他の人たちもやった」と。

今の政権を見たらいい。

デタラメで国民を愚弄し、いや、それどころか国民を苦しめているではないか。

そんな巨悪に目をつぶり、やり返してこない、後で自分の損害にならない相手ばかりを見つけては、正義の味方、国民の知りたいことに応えるなどとうそぶいて、小さな人たちをたたきのめしている。

こんなことをしていて、いじめが子どもたちの中にあるのは当然だ。

子どもを変えるではなく、変わるべきは大人だ。

2016年3月14日 (月)

「がん離婚」なぜ夫ががんになったら、妻に見捨てられるのか

「がん離婚」なぜ夫ががんになったら、妻に見捨てられるのか

PRESIDENT Online ) 2016年3月12日(土)配信

■夫婦仲が悪ければ、すぐに離婚の危機は訪れる?

「妻ががんになったことが原因で、離婚したがる夫はめずらしくない」ということを知ったとき、信じられませんでした。ただ次の瞬間、「夫ががんになったことが原因で、離婚したがる妻はもっと多いだろうな」と思いました。これは治療費にお金がかかるのはもちろん、将来、病状が悪化することで、いままでのように夫が働けなくなり、稼ぎが減る可能性があるからです。

貯金が十分あって夫が手厚い保障の民間の保険にも入っており、さらに妻が正社員として働いていれば、まだ離婚の危機は少ないかもしれません。ところが、子どもにお金がかかる時期で貯金があまりなく、夫が不十分な保障の保険しか入っていなくて、妻が派遣社員やパート、専業主婦の場合、真っ先にお金の心配をする夫婦は少なくないでしょう。

かつては妻が優秀な正社員だったとしても、ほとんどの人が正社員になるのは難しく、派遣社員になれれば御の字というのが現実かと思います。専業主婦の期間が長い人ほどこの傾向は強くなる、といっても過言ではないでしょう。これでは病状が悪くなることで夫の稼ぎが激減した場合、お金の問題が深刻化するのは火を見るより明らかです。

それでも夫婦仲がある程度よければ、家族が力を合わせて前向きになんとかしよう、という気持ちが生まれてくる妻も多いでしょう。ところが、夫婦仲が悪い場合、すぐに離婚の二文字が頭をよぎる妻は、かなりいると思います。
愛情がないのにお金の心配をしながら夫の闘病をサポートするのは、どう考えても無理があるからです。

わが家の場合、夫である私が稼ぎ頭で妻ががんで闘病していますが、これが逆だった場合、結婚、育児のために派遣社員、専業主婦をしていた期間の長い妻が、それほど稼げるとは思えません。それでも私が闘病しながらなんとか働けているうちはいいでしょうが、私の稼ぎが激減したとき、妻が正社員になれず派遣社員で稼いでいたら、すぐにお金に困るのは目に見えています。

お世辞にも私の稼ぎが多いとはいえないため、気の毒になるほど妻はお金に困っています。これが妻ではなく私ががんで闘病していたら、少なくとも妻が娘の将来を真剣に考えたとき、私が捨てられる可能性は高いでしょう。あるいは、家族に迷惑をかけないために、私が離婚話を切り出すと思います。お互いに愛情があったとしても、がん闘病には、お金がなければ、叩きのめされるような現実を突きつけられることが少なくないのです。

■闘病のために「離婚する」という選択肢

夫ががんになり、病状が悪くなることで稼ぎが激減した場合、十分な貯金がないのなら、妻が働くことは避けられません。ただ、専業主婦の期間が長く、パソコンが苦手でワードもエクセルも使えないのなら、派遣社員になるのも難しいかと思います。パートで働くとなれば、時給1000円で1日8時間、月20日働いたとして16万円です。それでも夫婦愛が強ければ、なんとかやっていこうという気になるかもしれません。
ところが、最悪なことに夫が働けなくなった場合、月16万円の稼ぎでは、月20万円くらい貯金を食いつぶすことになるかと思います。ならば月25日パートに出て20万円確保しよう、と考える妻もいるでしょうが、それでも必要なお金には遠く及びません。また、家事の大半をすることになるのも妻です。もちろん夫をサポートしなければならないのも妻です。自分の時間がなくなるだけでなく、疲れを明日に残さないようにするだけでも大変です。さらにお金に余裕がないため贅沢ができないのはもちろん、ちょっとした日用品を買うにも、倹約を意識せずにはいられなくなります。

ここまでくると、夫に愛情があっても、急速に減っていく貯金の残高を見たり、疲労の尾を引きずりながら日々に追われたりして、絶望しないほうがおかしいでしょう。まだ子どもが小さければ、この子の将来まで奪ってしまうことになるかもしれない、という危機感を覚えない妻はいないと思います。

夫に愛情があり、きちんとサポートしてあげたい、とどれだけ強く思っていても、イライラしたり、夫を恨んだりすることが増えてくるのは避けられないでしょう。そして、離婚すればいまの状況よりかなりマシになる、という考えが頻繁に頭をよぎるようになるかと思います。親が金持ちで、いくらでも援助が受けられるか、なんらかの方法で大金を手にしない限り、この現実問題を改善することはできません。

妻が正社員、派遣社員、パート、専業主婦に関係なく、夫ががんになる前から夫婦仲が悪く、修復できそうにない場合、夫は追い詰められる一方です。
自分ががんになったことで常に不安を抱えている状態なのに、さらに妻から文句をいわれる日々を送っていたら、闘病に専念することができません。免疫力も落ちていく一方です。がんになったことで自分を責める夫なら、近い将来、働くことができなくなるほど病状が悪化し、命を落としてしまっても不思議ではありません。

これは厳しい提案ですが、このような夫婦は離婚したほうがいいかと思います。小さな子どもがいたとしても、です。免疫力が落ちることで病状が悪化しないうちに闘病に専念し、なんとかがんを治すべきです。そして、がんを克服することができたら、養育費を払ってあげればいいでしょう。つらいことですが、こちらのほうがまだ建設的な考え方ではないかと思います。

死んでしまっては、自分の将来はもちろん、妻が稼げなかった場合、子どもの将来まで奪ってしまう可能性が高くなってしまいます。身も蓋もない提案、と思われる人も多いでしょうが、がんを克服するのは、そんなに甘いものではないのです。

フリーランスライター 桃山透=文
(以上、転載了)

より以前の記事一覧

無料ブログはココログ