公明党・創価学会

2017年5月25日 (木)

創価学会に未来はあるのか?

ある学会三世の方が創価学会を「戦後日本の最大の社会実験」として、自身を「モルモット」と呼んだ。
考えると、戦後の日本で一番大きな集団化した組織は創価学会だったかもしれない。
しかし今、創価学会は「今まで通り」でなくなっているのかもしれない。
一つは宗教として見た時、創価学会の教義とはどのようなものか、となるとこの数年でかなり変質している。
それは会則の改定を毎年のように繰り返していることにも表れている。
そして、毎日の勤行で読む経本にも表れている。
質問形式で挙げてみる。
1.創価学会の本尊は何か?
2.創価学会が唯一無二・絶対としてきた大石寺に安置する「大御本尊」を本尊とするのか?
3.日蓮本仏論は今後も堅持するのか?
4.大石寺に安置する「大御本尊」を日蓮大聖人の「出世の本懐」とするのか?
5.「創価学会仏」なる教義を新たに打ち出し、会則にも盛り込んだと聖教新聞でだした。そこで、創価学会という団体が仏として「創価学会仏」として未来の経典に書かれるとするものであるが、「未来の経典」とは何か?法華経など既存の仏教経典でない経典が将来新たに出現するのか?そして、「未来の経典」ということはそれを説く仏とは、創価学会が末法の御本仏とする日蓮大聖人でない新たな仏が出現するということなのか?そして、創価学会では御書第一とするならば「創価学会仏」なるものの文証はどこにあるのか?
教義を創価学会は変えながらも、このような問題を解決しているとは思えないのだ。

2017年5月15日 (月)

創価学会員50人に聞いた 「あなたは共謀罪に賛成ですか」

創価学会員50人に聞いた 「あなたは共謀罪に賛成ですか」

             
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                                                 内心を罰することから、平成の治安維持法ともいわれる「共謀罪」。戦時中、創価学会初代会長の牧口常三郎氏と、2代目会長の戸田城聖氏は、治安維持法違反で投獄され、牧口氏は終戦直前に獄死した。

 支持団体がそんな歴史を持つのに、公明党は自民と維新とタッグを組んで、18日に共謀罪の衆院採決を強行する気だ。創価学会の人々は共謀罪をどう見ているのか――。本紙記者は12日、創価学会総本部をはじめ、関連施設が集中するJR信濃町駅周辺で、学会員を直撃。20~80代の男女50人(男18人、女32人)から回答を得た。

■「皆、ピンときていない」

「中身がよく分かりません。公明党は賛成しているのですか」(50代女性)、「知らん。興味ない」(60代男性)、「名前は聞いたことがある」(20代男性)。


 意外にも圧倒的多数は「分からない」で、38人にも上る。熱心な選挙運動を展開する学会員にしては、あまりにも“ノンポリ”である。

「外からは学会は“一枚岩”に見えるでしょうが、左から右までいろんな人がおり、政治テーマを常に散々議論しています。一昨年の安保法案は、戦争に関係する話で婦人部も敏感でした。私も時間がかかったが、公明党の説明を何とか納得した。ただ、共謀罪は学会内で話題にすらなっていない。テロ対策など自分には関係ないと思っていて、皆、ピンときていない。私も詳細を知りません」(60代男性)

 賛否を鮮明にした人のうち、「TOC条約に加盟して、国際的にテロ対策をできるようにすべき」(70代男性)、「五輪もある」(40代女性)など賛成は7人。一方、「対象がテロ以外にも広がりそう」(30代男性)、「もっと議論すべき。今国会で成立させる必要はない」(70代男性)など慎重派は4人いた。

 そんな中、断固反対が1人いた。戦前生まれの80代男性だ。

「共謀罪は絶対ダメだ。ちょっとでも怪しい国民を見つけたら、憲兵や特高がやってきて捕まえる。やりたい放題です。私は小さかったが、当時の雰囲気を今でも覚えていますよ。牧口、戸田先生だけではない。ほとんどの宗教は治安維持法でやられました。若い人には分からないのでしょうか」

 やりきれない表情でそう嘆いていた。創価学会内が“圧倒的無関心”の中、共謀罪は成立しようとしている。牧口初代会長は草葉の陰で何を思うだろうか。

(以上、日刊ゲンダイデジタルより転載 了)

正直、ここまで創価学会員が政治問題に疎いというのか無関心とは思わなかったです。

選挙になるたびに、もうそれこそ年賀状のやりとりさえも無いようなご無沙汰な人にも「お久しぶり、元気?」から始まって、「今度の選挙で、公明党の〇〇さんが立候補しているから投票をお願いします。」と電話を掛けてきて、選挙が終わるとそれっきり。そして、また選挙になるとそんな不義理をしておきながら、また同じことを頼む。

そういうことをしてまで創価学会員の皆さんは友人や知人だけでなく、学校の同窓生や先輩・後輩、学校のときの先生にまで投票を頼みます。

それなのに、公明党の政策は何か、今、公明党は何をしようとしているのかとなると無関心というのはあまりのことです。

たとえるならば、自分が食べて美味しいのか不味いのか、体に良いのか悪いのか、得なのか損なのかを確かめもせずに平気に他人に買うように、食べるように、使うように勧めるようなものです。

そういうのを世間では「無責任」というのではありませんか。

テロ等準備罪なる共謀罪がいかなるものなのか、本当に反対派が言うように危険性はないのか、国民生活の安寧のために本当に役に立つのか、そういうことに関心を持たずに、「公明党だから」、それだけで創価学会員でない人達に投票を頼むなど「迷惑」でしかありません。

公明党の議員への投票を頼むならば、公明党の議員が今何をしようとしているのか、そういう他人に勧めた責任として政治に関心をもつべきではありませんか。

創価学会の初代会長・牧口氏や、二代会長・戸田氏が治安維持法と不敬罪で逮捕、投獄され、牧口氏は獄死しているのではありませんか。

現代の治安維持法とも言われるテロ等準備罪なる共謀罪に、普通創価学会員だったら生理的に、直感的に警戒心や嫌悪感をもつべきところでありましょう。

そして、三代会長の池田氏は、それを踏まえて、「権力を厳しく監視せよ」などと言ったのではありませんか。

創価学会員のみなさんはそうした歴史や会長の言葉をふっ飛ばして、自分を思考停止にしているのと違いますか。

他人に投票を頼む以上は責任をもちましょう。ごく普通のことです。

たとえば、自分が保証人になりもしないのに、「〇〇さんにお金を貸してよ」と頼むようなものですから。

2017年4月 4日 (火)

共謀罪をめぐる公明党の動き

<共謀罪>後半国会最大のヤマ 首相「確実に成立を」

毎日新聞 4/4(火) 0:22配信    

 「共謀罪」の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が6日の衆院本会議で審議入りする運びになった。日程を巡って与党内の折衝が続いていたが、今国会での成立を確実にしたい自民党に公明党が譲歩した。民進党など野党4党は廃案を求めて徹底抗戦する構えで、同法案は後半国会で最大の焦点になる。

 3月21日の組織犯罪処罰法改正案の閣議決定を受け、自民党は6日の審議入りを主張してきた。安倍晋三首相は3日、政府・与党連絡会議で「確実な成立に向け、協力をお願いしたい」と要請した。

 審議入りを巡る自民、公明両党の調整は難航したが、政府・与党連絡会議までに結論を出すという「出口」の認識は共有していた。同会議に先立つ3日の与党国対委員長会談では、公明党が6日の審議入りを容認する代わりに、衆院法務委員会での審議順を民法改正案、組織犯罪処罰法改正案、刑法改正案とすることで妥協した。

 民法改正案には、交通事故の損害賠償増額につながる法定利率の引き下げなどが含まれている。公明党の大口善徳国対委員長は「日弁連も早期成立を求めている。まずこれを早く通すことになる」と記者団に語り、一定の成果を強調した。

 ただ、性犯罪を厳罰化する刑法改正案は、同党の主張が通らず後回しに。自民党に押し切られた感は否めず、山口那津男代表は「最終の判断は、総合的な判断だ」と苦渋をにじませた。

 東京都議選(7月2日投開票)を国政選挙並みに重視する公明党は、組織犯罪処罰法改正案に世論の批判が強まり、選挙戦に影響する事態を懸念している。

 しかし、首相の意向を受けた自民党は今国会での成立を譲らない構え。公明党が都議選で小池百合子知事と選挙協力することへの不満から、「公明党が『国政と都議選は別』と言った以上、都議選を理由にした駆け引きは通らない」(自民党関係者)という強気の意見すら出ている。

 ただ、今後の法案審議を巡って、金田勝年法相の手腕への不安は消えていない。金田氏は法案提出前の2月、「国会提出後に法務委員会で議論すべきだ」と記した文書を配布し、「質問封じだ」と野党の猛反発を受けた。野党側は金田氏に狙いを定めている。

 大口氏は3日の会談で自民党の竹下亘国対委員長に「国民にわかりやすい丁寧な審議が必要だ」とクギを刺し、竹下氏も「もちろん審議の時間はきちんと取るし、充実した審議になるよう互いに努力を重ねる」と約束した。【高橋克哉、光田宗義】

 ◇野党、反対世論頼み

 民進、共産、自由、社民の4党は4日にも国対委員長会談を開き、組織犯罪処罰法改正案への対応を協議する。衆参両院で与党が多数派を占める中、現時点で廃案に追い込む明確な戦術があるわけではない。審議で法案の問題点を追及し、反対の世論が高まることに期待をかける。

 民進党の野田佳彦幹事長は3日の記者会見で「刑法改正案は被害者をはじめ、多くの国民が期待する法案だ。これを飛ばして『共謀罪』を先に審議することは世論に反する。断じて認められない」と強調した。共産党の小池晃書記局長も会見で「『共謀罪』は刑法の大原則を覆し、憲法の思想、良心の自由を脅かす違憲立法だ」と述べた。

 野党側は、組織犯罪処罰法改正案の内容だけでなく、審議の順序を問題視している。衆院法務委員会で与党が同改正案の審議を割り込ませたと印象づけるためだ。刑法改正案の先行審議を主張していた公明党が自民党に妥協したことを、小池氏は「最初は抵抗するようにみせて、結局、自民党の言いなりになる」と批判した。

 一方、日本維新の会は4日、自民党と幹事長・国対委員長会談を開く予定。維新は野党4党と一線を引いており、2015年に成立した安全保障関連法と同様、野党の対応は一枚岩ではない。【樋口淳也】

(以上、毎日新聞より転載)

公明党と自民党との間に隙間風が吹いているという話もありますが、よくいう「伝統芸能」でしょう。

いつものパターン。

公明党が難色を示して、自民党が譲歩したかたちをとって、公明党は支持者に「自民党に修正させた」と喧伝して、どうどうと自民党と一緒に法案を通すということですね。

もうこういう見え透いたことをいつまで続けるのでしょうか。

今回も自民党議員からは「連立から離脱したらいい。どうせ公明党は行き場がないんだから。」などと陰口をたたかれている有様。

でも、確かにその通り。

公明党は自民党から離れて行く場所がないのです。

支持者には「自民党に修正をさせた」「与党として政策を次々と実現させている」などと説明しながらも、自民党に捨てられまいとして自民党に追従している、追従するしかないのです。

もし、あなたが高校の政治・経済、現代社会の教員だったら、授業で、各政党の特色や理念を挙げるとして、公明党については、どんな特色や理念があると教えますか?

公明党に、どんな特色があるのか、となれば、自民党と連立与党になっているとか、創価学会が支持母体であるとしか、それしかないのでは。

公明党に、どんな理念があるのか、となれば、理念はないのでは。

もし平和とか人権とか口にしても、安保法制や共謀罪でどれだけ公明党は、平和や人権を口にできるものがないかを自ら明らかにしてしまったのですから。

 

2017年3月22日 (水)

公明党は共謀罪に賛成。それでいいのか?

創価学会の初代会長の牧口常三郎氏と、二代会長になる戸田城聖氏は、創価学会の公式の歴史では治安維持法と不敬罪で逮捕されて投獄されました。
そして、牧口氏は獄中で亡くなるという悲惨な歴史を創価学会は抱えているのです。
そのような歴史を踏まえて、人権擁護の運動などをしてきたのではないですか。
それが創価学会が支持母体の公明党は、なんと共謀罪の法制化に賛成。
共謀罪とは実際に犯罪行為をしなくても、犯罪をしようとしたという容疑で逮捕・処罰できる法律。
もし共謀罪がそのような性質の法律でないと反論されるならばお聞きしたいのです。
共謀罪は日本の法体系を一変させる法律です。
たとえば人を殺しても、人を殺せなくても襲っても、殺すと脅しても、人を殺そうと凶器を準備しても、凶器を持ち歩いても逮捕・処罰されるのが今の法体系。
つまりは、このようなことをしたから、それは法律に違反するという流れになっています。
でも、人を殺したいなんて友人同士で話をしても逮捕・処罰されるのが共謀罪。
つまりはなんの動きもない段階で逮捕・処罰できる、その危険性があります。
これって現在の法体系を一変させることになります。
話を戻せば、創価学会員の方に伺いたいのは、牧口氏や戸田氏が治安維持法や不敬罪で逮捕され獄中に入れられたのは正当なことだったのでしょうか、ということ。
牧口氏や戸田氏は治安維持法や不敬罪で逮捕されるような国家の安寧や皇室の尊厳を毀損するようなことをしたのですか?
そんなことはないと創価学会の会員さんが返答してくださったら伺いたいです。
国家の安寧や皇室の尊厳を毀損するようなことをしなくても逮捕され獄中に入れられたのが牧口氏や戸田氏ではなかったのですか?
つまりは、時の政府や官憲の意向で逮捕される危険性もはらんでいるのが治安維持法や不敬罪であったのです。
では治安維持法や不敬罪にはらむこの性質が共謀罪にはない、一般市民がこの法律で逮捕されることはないという、その担保はどこにあるのでしょうか。
後になって、一般市民が逮捕される危険性が露呈したとき、公明党・創価学会員はなんと言い訳するのでしょうか?
そのための法律でない、法律の運用が間違えているだけだ、と言うのでしょうか。
法律の運用によってはその危険性があるでは済まないのです。
まさか共謀罪にまで賛成するとは、公明党の議員は各個人のなかにある信仰というベースも捨てて、創価学会員を単なる集票マシーンに観ている証拠でもあるのです。
創価学会員もいい加減気づきましょうよ。
集票マシーンをやっていたら功徳になるなんて、子どもも騙せない話を真に受けている場合ですか。
だいたい、池田大作氏の言葉からしても安保法制も共謀罪も賛成に回れる理由が見つかるはずがないです。
人生の師匠だの永遠の師匠だの、池田氏を尊敬するふりをするのはもうやめたらどうですか?
池田氏の言葉に従わないで池田氏を尊敬していますって、冗談もいい加減にしてほしいですね。
すると、創価学会の会員の間では、池田先生はお元気で公明党の方針を承認してくださっている、と噂が流れる。
それならば、池田氏は二枚舌の使い手なのですかってなるのですよ。そこまで人生の師匠の名誉を傷つけて何が、池田先生の弟子ですか。
弟子ならば師匠の言葉に忠実になろうとするものではないですか。
すると公明党と創価学会とは別ですって言う学会員さんもいます。
そのくせ選挙が近くなると投票を依頼してくる。公明党に投票すると功徳になるんですよって、そんなことまで言ってくる。
もういい加減、そういうその場その場で立場を使い分けて、何が何だかわからないことはしないほうがいいのではないですか。
 

2017年3月15日 (水)

安倍首相ら自民幹部「公明の協力なしでも勝つ」と、公明党もなめられたものだ

安倍首相ら自民幹部「公明の協力なしでも勝つ」

安倍総理は、自民党の二階幹事長、下村東京都連会長と会談し、「公明党の協力なしでも東京都議選を勝ち抜く」という方針を確認しました。
 「今度は公明党がなくても、自民党は自民党で地力を発揮して、この選挙を勝ち抜く。これを総理と3人で確約してきた」(自民党 二階俊博幹事長)

 会談で二階幹事長は、7月の都議選では42ある選挙区の各候補者に国会議員3人を配置し、応援態勢を組む考えを総理に示したということです。

 自民党東京都連は、都議会公明党の推薦を得られないことで議席を大きく減らすのではないかと危機感を募らせていて、安倍総理も巻き込んだ応援態勢を敷くことを示すことで、攻勢を強める小池知事側や公明党をけん制する狙いもあるものと見られます。(15日00:12)
 
(以上、TBSより転載 了)
本音では自民党議員の中で、公明党と決別したい、ただ、創価学会員の集票力は離したくないけれど、という人が多いのではないですか。
自民党からすれば、おとなしく公明党・創価学会が自民党に従ってくれれば、それでいいけれど、公明党がキャスティングボードを握りたいなどと下心をもつな、ということでしょうね。
ただ、公明党がキャスティングボードを握るなんていうのはもう無理ではないですか。
というのは、あまりに自民党に追従するくせがついて、今更、自民党から離れることなどできないと思うからです。
もう自民党依存症になっているのが公明党でしょう。
それでも自民党と決別したとしても、行き場がないのです。
今更、「福祉の党」「平和の党」なんて看板も出せません。
野党として生きる力も、自民党と対抗する力もありません。
ただ創価学会本部の指示を守りながら、自民党にすり寄っていれば権力者側として生きられるという根性が染み付いてしまったのが、今の公明党議員の姿ではないですか。
 

2017年2月16日 (木)

清水富美加に「改宗したら?」 幸福vs創価バトルに発展か

清水富美加に「改宗したら?」 幸福vs創価バトルに発展か

                      
清水富美加に「改宗したら?」 幸福vs創価バトルに発展か

長井秀和の提案は無謀?(C)日刊ゲンダイ

 芸能界を電撃引退した女優の清水富美加を巡る混乱は一向に収まる気配がない。それどころか、別の宗教団体を巻き込んだバトルに発展する可能性も出てきた。その発端となっているのが、創価学会の信者として知られるお笑いタレントの長井秀和(47)による“発信”だ。13日付の自身のフェイスブックで、清水に対しこう提案している。

〈色々悩んでいるとの話も聞きますけど。ここは清水富美加さん、創価学会に改宗したらどうですかね?伸び伸び、芸能活動と宗教活動を両立出来ると思いますよ〉

〈創価学会の池田大作大先生も、生きてるか死んでるか分からないんですけど。どちらにしても、幸福の科学の大川隆法さんが池田大作大先生の生き霊か死霊を霊言降ろして、池田大作大先生の有り難き御言葉を、清水富美加さんも拝聴したら、開けて行くと思いますよ〉

〈取り合えず、手始めに、清水富美加さんに聖教新聞を一ヶ月無料贈呈しますね〉

 内容としては、幸福の科学に“ケンカ”を売っているが、自身が信仰する創価学会に対しても“チクリ”とやっている。一体、どういうことなのか。長井の所属事務所はこう説明する。

「両親が熱心な信者であるという点は、清水さんと共通するところかと思います。長井の場合、(創価学会に対し)本人がここは違うと思うところがあれば、積極的に発信していくスタンス。ライブなどでも(学会ネタを)やっていて、本部から叱られたりしているようです。脱会しているということではありません」

■創価学会の信者が幸福の科学に流出

 幸福の科学も創価学会も、芸能界に信者がいることは周知の通り。このままいけば、発信力のある芸能人も巻き込んで、両宗教の対立が一気に表面化する可能性もある。

「実は以前から創価学会の信者が、幸福の科学に流れているんです。それに対し、学会サイドがカンカンになっている。幸福の科学の勢いが増したのは、幸福実現党を結党して、衆参の選挙で全国に候補者を擁立してから。NHKの政見放送などで、飛躍的に知名度があがった。供託金を没収されましたが、十分に元は取ったと思います」(宗教に詳しいジャーナリスト)

 もはや、一人の女優の引退で済まされる事態ではなさそうだ。

(以上、日刊ゲンダイから転載 了)

(上記に転載した記事はカテゴリーを二つに分けた都合で同じ記事を転載しました。)

2017年2月 6日 (月)

創価学会仏とはなんだろう? その4

(前回につづく)
このブログでも取り上げ転載した週刊ポスト2016年11月25日号の記事『池田大作名誉会長を「先生」に 創価学会「急変革」の謎の一部に宗教学者の島田氏の言葉として、そして、週刊ポスト編集部・記者が創価学会に問い合わせをした、その返答がこのように紹介されている。
(このブログでは『池田大作名誉会長を「先生」に 創価学会「急変革」の謎』というタイトルの記事として、この週刊ポストの記事を転載していますので、そちらもお読みください。カテゴリー「公明党・創価学会」から検索できます。)
 
創価学会が「組織変革」を急ぐ理由は何だろうか。
 「現在の創価学会は、教義の変更など宗教団体として非常に重要な問題について、『これは池田名誉会長がお決めになった』、『認められた』という形でしか発表されていません。しかし、高齢で健康不安が囁かれる池田氏が不在となれば、その権威やカリスマ性によって成り立っていた決定ができなくなってしまう恐れがあります。池田氏の後継者といえる存在がはっきりしていないことも、状況を深刻にしている。

 その事態を避けるために創価学会は、組織変革を急いで行なおうとしているのです。同時に池田氏を『永遠の師匠』や『先生』として学会員の崇拝対象とすることで、ポスト池田時代に移行してからも組織の求心力としての池田氏の権威を保つ狙いがあると考えられます」

 創価学会に取材すると、「(今回の会則改訂は)宗教的独自性を明確に宣言したもの」(広報室)との回答があった。
(以上、転載了)
それから、このブログの記事『創価学会仏とはなんだろう その1』でも転載した、2016年11月5日付の聖教新聞の1面の記事にこのような文がある。
そして2016年の本年、「創価学会仏」のご指導を加え、より一段と創価学会の宗教的な独自性を明確にいたしました。
(以上、転載了)
 
これらの記事から、なぜ2016年11月に創価学会は会則をまたも改正・改変したのか、その理由が垣間見られる。
気になるのは、
創価学会に取材すると、「(今回の会則改訂は)宗教的独自性を明確に宣言したもの」(広報室)との回答があった。
という部分。
「(今回の会則改訂は)宗教的独自性を明確に宣言したもの」
ということは、決別した日蓮正宗との違いを明らかにして、日蓮正宗教学によらない創価学会の教学を早期に打ち出し確立させたいのだろう。
たとえば、自動車メーカーのトヨタの社員が退職して、新たに自動車メーカーを立ち上げ、トヨタにはない独自のデザインや技術で自動車を開発したい、といった話ならば理解ができる。
 
独自性とはそういうことであり、独自性という言葉を使う場面はこういうことだと思うのだ。
一方で、独自性の追求は宗教でやるべきことなのだろうか、そこに素朴な疑問をもつ。
オリジナリティを求めるということで、これまでの教学もあり方も伝統も否定というのか、それにしばられない教学などを独自に開発するということではないのか。
それをさんざん批判してきたのは創価学会自身ではなかったのか。
創価学会は、とくに新宗教を「邪宗教」呼ばわりして批判するときにどのような言葉を用いてきたか。
断っておくが、創価学会が脱却をしようとしている日蓮正宗の教学をここで云々するつもりも、その是非を論じるつもりもない。
ただ、日蓮正宗の教学から脱却したいがために、独自性を追求して、その結果どのような教学を人為的に作ろうとするのだろうか。
(前回につづく)

2017年1月30日 (月)

創価学会仏とはなんだろう? その3

(前回につづく)
 
「創価学会仏」についてネットで観ていたら、創価学会員と思われる方のブログに、2006年5月10日付の聖教新聞の記事として下記のようなものを見つけた。
今回のこのブログでの記事は、以下に転載する2006年5月10日付の聖教新聞の記事をもとにして「創価学会仏」について考えてみたい(もし下記に転載する記事が架空なものであったり、内容が多く書き換えられていたりしたら私の考察は成り立たない。私はこの聖教新聞を確認していないので、もしお時間の許す方がおられれば確認していただけたら幸いです)。
この記事からすると、戸田会長から池田名誉会長が聞いた話ということになる。
(以下、太字の部分は転載)
 
「-本門の師弟の出発- 三世永遠に晴れ晴れと指揮を執れ」

「大聖人は、『日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながる(流布)べし』(御書三二九ページ)と仰せである。
末法万年尽未来際まで一切衆生を救いきっていく、永遠不滅の妙法を一閻浮提に広宣流布するのだ!
この尊き仏意仏勅の使命を誓願し、勇んで戦乱と苦悩に満ちた現代に出現したのが偉大な創価学会である。 

ある時、戸田先生は、その「創価」の誉れを、私に語ってくださった。
『《創価学会仏》――未来の経典には、こう学会の名が記されるのだよ』
五体に感動が走った。 

法華経の不軽品に、「威音王仏」という名前の仏が登場する。実は、この仏は“一代限り”ではない。 

最初の威音王仏の入滅後、次に現れた仏も威音王仏と言った。そして「是の如く次第に二万億の仏有(いま)し、皆な同一の号なり」と。 

つまり、二万億もの仏が、みな同じ「威音王仏」という名前で、長遠なる歳月、衆生を救済してきたことが説かれているのだ。 

先生は、これは、威音王仏の名を冠した「組織」「和合僧団」とはいえまいか――と鋭く洞察されていた。 

個人の今世の寿命は限られている。しかし、広宣流布に戦う根本精神をば、師匠から弟子へ脈々と受け継ぎ、一つの組織体として活動し続けるならば、それは「民衆を救済し続ける」恒久的な仏の生命力を持つことになる。 

わが創価学会には――
民衆の苦悩の暗闇を破り、勇気と希望を与えゆく慈悲の大光がある。
敢然と邪悪を打倒し、正義を叫び抜く師子吼がある。
宿命を転換し、自他共の幸福を築きゆく、信心の大確信がある。
そして、いかなる三障四魔の大難にも打ち勝つ、異体同心の和合があり、金剛不壊の師弟の大城がある。 

我ら創価の師弟に、三世永遠に途切れることなき「仏に成る血脈」が滔々と流れ通うことは疑いない。
ゆえに戸田先生は、もしも未来に仏が経典を作られるならば、大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団――創価学会に、「仏」の名を冠されることは当然であろうと断言されたのだ。」

(以上、転載了)

「創価学会仏」を会則に入れる10年前に、このような記事が聖教新聞にあったということだ。

この記事では「創価学会仏」の根拠にこのように挙げていることになっている。

法華経の不軽品に、「威音王仏」という名前の仏が登場する。実は、この仏は“一代限り”ではない。 

最初の威音王仏の入滅後、次に現れた仏も威音王仏と言った。そして「是の如く次第に二万億の仏有(いま)し、皆な同一の号なり」と。 

つまり、二万億もの仏が、みな同じ「威音王仏」という名前で、長遠なる歳月、衆生を救済してきたことが説かれているのだ。 

先生は、これは、威音王仏の名を冠した「組織」「和合僧団」とはいえまいか――と鋭く洞察されていた。

(以上、上記の記事の一部転載)

「威音王仏」=「創価学会」であると、戸田会長が発想したことになる。

では、素朴な疑問であるが、「威音王仏」=「創価学会」であると証明するのは誰であろうか。

それを

ゆえに戸田先生は、もしも未来に仏が経典を作られるならば、大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団――創価学会に、「仏」の名を冠されることは当然であろうと断言されたのだ。

(以上、上記の記事の一部転載)

とあるが、

もしも未来に仏が経典を作られるならば

(以上、上記の記事の一部転載)

とある。

では、その仏は誰なのだろうか?釈尊でも、創価学会が末法の本仏と仰ぐ日蓮大聖人でもない方が「仏」として出現して経典をつくるということになるのか。

もう一つ素朴な疑問が生まれる。

もしも未来に仏が経典を作られるならば

これは「仮定」の話である。

それから、

先生は、これは、威音王仏の名を冠した「組織」「和合僧団」とはいえまいか――と鋭く洞察されていた。

(以上、上記の記事の一部転載)

とこれは「類推」の話である。

創価学会」は「威音王仏の名を冠した「組織」「和合僧団」とはいえまいか」、だからもしも未来に仏が経典を作られるならば」、創価学会に、「仏」の名を冠されることは当然であろうと」。

(太字の部分は上記の記事から転載)

という構成になる。

ということは、

前回のこのブログの記事で、「創価学会仏」は戸田会長の「予言」と書いたが、むしろ戸田会長の「仮定」からの「類推」の話といったほうがいいだろう。

となると、戸田会長が語ったとされる「仮定」からの「類推」の話を創価学会の会則に入れ、それを創価学会の教義にしたということだ。

(つづく)

 

 

2017年1月29日 (日)

創価学会仏とはなんだろう? その2

(前回につづく)
そもそも創価学会は「御書根本」と言ってきたではないか。
それならば、御書のどこに「創価学会仏」なり「創価学会仏」を裏付けるものがあるのだろうか。
創価学会員は他宗や他宗教を批判するときに、さんざん「文証はどこにあるのか?」と言ってきたではないか。
仏教経典や御書にその根拠があるのかということだ。
(これについては次回におくる。次回の記事で書くが、池田名誉会長の言葉として法華経のなかの句から戸田会長の言葉の裏付けをしたことになっている)
つまりは戸田会長が未来仏を証明をしたことになるということだ。
そういうことになるのだが、それでいいのだろうか。
次に、「創価学会仏」となると、創価学会員が奉じる仏とは何か?
これまで創価学会らは末法の御本仏として日蓮大聖人を奉じてきたが、ここで日蓮大聖人がおっしゃらず、戸田会長が発言したことで「創価学会仏」なるものが登場したということは、日蓮大聖人と創価学会仏との仏法上の整合性はどうなるのだろうか。
「将来の経典」なるものを創価学会が出して、「創価学会仏」を本仏とでもするのだろうか。
「創価学会仏」が「日蓮大聖人」を末法の御本仏として祈りをささげるという関係になるのか。
そもそも創価学会という信徒の組織(教団)が「仏」と成り得るのだろうか。
これについて創価学会は、仏法上どのように説明されるのだろうか。
そして、だいたい戸田会長は本当に現在の創価学会が会則に定めたような「創価学会仏」なるものを発言していたとしたら、今回の会則に組み込まれることを将来的に意図していたのであろうか?
この聖教新聞の記事を読むと、戸田会長が「創価学会仏」と言われ、池田会長が戸田会長の発言を後押ししたことをもって、その言葉を「創価学会仏」の根拠のようにしている。
ここで参考までに、創価学会の機関誌『大白蓮華』2007年3月号(NO.686)の池田名誉会長の「生死一大事血脈抄講義」とされるものをみてみよう。
ここで「創価学会仏」という言葉が出てくる。

 三代の師弟によって示された広宣流布に戦う根本精神が異体同心の組織の中に脈動していくとき、創価学会は民衆救済する仏の大生命力を恒久的に持ち続けることになります。
 その力は民衆の苦悩の暗闇を破り、勇気と希望を与えてゆく『慈悲の大光』として輝きます。悪を打倒し、正義を叫び抜く『獅子吼』となって響きます。宿命を転換して、自他共の幸福を築く『大確信』が一人一人の胸中に開かれます。
 そして、そのような三障四魔の大難にも打ち勝つ 『異体同心の和合僧』、『金剛不壊の師弟の大城』と してそびえ立つのが、創価学会の組織なのです。
 ゆえに戸田先生は、『未来の経典には「創価学会仏」 の名が記される』と予見なされました。大聖人に直結 した広宣流布遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体が仏そのものなのである。これが戸田先生の大確信であられた。
 戸田先生は幾度も、『戸田の命よりも大切な学会の組織』と語られました。
 私も、何よりも大切な仏意仏勅の和合僧団を、戸田先生の命そのものとしてお預かりしてきました。そして『異体同心』を指針として、この創価学会を大発展させ広宣流布を進めてきました。
 どうか、これからも『異体』を『同心』にしていく 信心の努力と誠実な行動によって拡大していっていただきたい。それ自体が広宣流布の道であり、世界平和への確かな前進だからです。
(以上、転載了)
この文章を読むと、戸田会長の「予言」では、将来、「未来の経典」が出現し、創価学会が「創価学会仏」と記されるということか。
そうすると、法華経などの仏教経典ではない、新たに経典が生まれることになるというのか。
そして、仏として「創価学会仏」について説くのは誰なのか、素朴な疑問がある。
未来に経典を説くということは、その教えを説く仏は、釈尊でも、創価学会員が末法の御本仏と仰ぐ日蓮大聖人でもないのだろう。
ということは、新たな「仏」が出現するとでもいうのか。
(次回につづく)

2017年1月27日 (金)

ネット上にある聖教新聞からの転載記事を読む

ヤフー知恵袋で下記のような聖教新聞の記事からの抜粋とするものがありましたので、それを転載します。

(以下、太字の箇所は転載)

世界宗教として更なる飛翔

創価学会は、昨年11月、会則の第1章第2条の教義条項を改正しました。これにより、学会の宗教的独自性が、一層、明確になり、世界広布新時代にふさわしいものとなりました。

具体的には、「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本仏に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」というものです。

日蓮大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を「南無妙法蓮華経」であると明らかにされました。それを、末法の全民衆の成仏のために、「三大秘法」、すなわち、「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」として具現されました。この法門を信ずるということです。

末法の衆生のために、大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、「本門の本尊」です。

そして、「本門の本尊」に唱える南無妙法蓮華経が「本門の題目」であり、唱える場がそのまま「本門の戒壇」となります。

したがって、「本門の本尊」としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」も含まれますが、それのみが「本門の本尊」だとするものではありません。

「弘安2年の御本尊」に繋がらなければ、他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする本尊観は、大聖人の仏法の本義に反するものです。

これまで、学会では、日蓮正宗の解釈に基づき、「弘安2年の御本尊」を日蓮大聖人の「出世の本懐」としてきました。その根拠は、「聖人御難事」の「余は二十七年なり」の一節でした。

しかしながら、この両者を結び付ける解釈は、古い文献にはありません。そして、あらためて「聖人御難事」を拝すると、本抄では、大聖人御自身は直接、「弘安2年の御本尊」について一言も言及されておりません。

さらに、大聖人の御生涯全体を拝したときに、「聖人御難事」で、「二十七年」と強調されているのは大聖人が立宗以来、三大秘法の仏法を弘通することによって生じた大難の中、27年目にして、三大秘法を受持し、「不惜身命」の信仰を貫く農民信徒が出現したことを、鮮明にするためであると拝されます。

ゆえに、「弘安2年の御本尊」の御図顕も、この三大秘法と民衆仏法の確立という意義の中に含まれます。

また、いずれの宗教教団も、独立した教団である以上、その教団の本尊、聖典、礼拝施設等を決定する権能を有するのは当然です。

仏意仏勅の世界広宣流布を推進する創価学会は、受持の対象としての御本尊を認定する権能を有しています。

そもそも、学会では、1993年から、独立した教団として、御本尊を認定し、授与してきました。さらに、“魂の独立”から23年余、学会員は皆、大石寺に登山することもなく、弘安2年の御本尊を拝することもありませんでした。

けれども、学会員は、各人の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大な功徳を受け、宿命転換と人間革命を成就し、世界広布の拡大の実証を示してきました。これが、皆の実感です!

そして今回、大謗法の地であり、他教団の大石寺にある「弘安2年の御本尊」は、受持の対象にしないことを、将来のために、明確にしたのです。

佐藤優氏は、「『過去の発言と矛盾しているじゃないか』と批判する固定した見方は、『死んだ宗教』『化石の宗教』の論理ですよ」とも言われていました。

日蓮大聖人の御遺命は「法華弘通」です。その精神を受け継いでいるのは、学会です。192カ国・地域に広がったSGIの連帯が示す通り、創価三代の師弟が、仏の未来記を実現する方途を開いたのです。

2015.2.23日付 聖教新聞4面 『躍進の鐘を鳴らせ』より抜粋

(以上、転載 了)

ここからは私の疑問や感想を書きます。

したがって、「本門の本尊」としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」も含まれますが、それのみが「本門の本尊」だとするものではありません。

「弘安2年の御本尊」に繋がらなければ、他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする本尊観は、大聖人の仏法の本義に反するものです。

(以上、太字の箇所は転載)

日蓮正宗と決別したいのは理解できますが、これまで創価学会が主張し、会員に指導してきたことと全く違うことを表明しています。

次に、

これまで、学会では、日蓮正宗の解釈に基づき、「弘安2年の御本尊」を日蓮大聖人の「出世の本懐」としてきました。その根拠は、「聖人御難事」の「余は二十七年なり」の一節でした。

しかしながら、この両者を結び付ける解釈は、古い文献にはありません。そして、あらためて「聖人御難事」を拝すると、本抄では、大聖人御自身は直接、「弘安2年の御本尊」について一言も言及されておりません。

(以上、太字の箇所は転載)

とありますが、今更何を、と思います。「聖人御難事」を普通に読めば、「弘安2年の御本尊」について書かれているのかは明白です。

それでも、「「聖人御難事」のどこに「弘安2年の御本尊」について書かれているのか?」と質問されると創価学会は日蓮正宗の教学の通りに、あるいは大御本尊を疑うと罰が当たるなどと反論してきたではありませんか。

創価学会には教学部もあり、仏教哲学大辞典も刊行し、創価大学には東洋哲学研究所などももっているのに、今更それを言うのか、と思いました。

次に、

佐藤優氏は、「『過去の発言と矛盾しているじゃないか』と批判する固定した見方は、『死んだ宗教』『化石の宗教』の論理ですよ」とも言われていました。

とありますが、これはこのブログで以前取り上げたことですが、佐藤氏は大学でキリスト教神学を専攻し現在もクリスチャンです。何もクリスチャンだからとは言いたくありませんが、クリスチャンの佐藤氏の言葉をもって創価学会の過去の主張・指導と現在の主張・指導とが違うことへの反論をするのはいかがなものでしょうか。

佐藤氏の言葉を使って、創価学会の過去の主張・指導と現在の主張・指導とが違うことを正当化させようとするには、あまりにも論理の飛躍というのか、平たく言えば、使えそうなものは何でも使うみたいな感じがします。

それでも、

佐藤優氏は、「『過去の発言と矛盾しているじゃないか』と批判する固定した見方は、『死んだ宗教』『化石の宗教』の論理ですよ」とも言われていました。

と言われるならば、過去の発言と矛盾していたら、それはおかしい、と思われ言われるのは当然のことではありませんか。

そもそも宗教の真理とはそんなに容易く変わるものでしょうか。

当の創価学会は、他宗教を批判するときに、本尊や教義が変わったことを指摘して批判してきたではありませんか。

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